マスゴミ反日野盗パヨク供が
何故か「安倍ガー」と喚き散らしてますが
何の事はない、
その「安倍ガー」連中こそが
拉致問題解決をさせないようにして来た
張本人。(ハリモト人か)
奴らは、これまで「何をして来たか」を問うべき。
マスゴミは肝心要の重要事項は絶対報じない。
菅直人総理 安倍晋三にシンガンスとの関係を指摘され逆ギレ!
以下某所から引用させて頂きました。
昭和63年8月。
手紙がポーランドから届きました。
行方不明だった石岡亨さんから家族にあてたものでした。
行方不明だった石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さん達が
北朝鮮にいることを伝えるものでした。
石岡亨さんがなんとか消息を伝えようと知人に託した手紙が
ポーランドで投函されていたのです。
石岡さんの家族は行方不明となっていたが北朝鮮にいる
という事を有本さんの家族にも伝えました。
手紙がポーランドから届きました。
行方不明だった石岡亨さんから家族にあてたものでした。
行方不明だった石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さん達が
北朝鮮にいることを伝えるものでした。
石岡亨さんがなんとか消息を伝えようと知人に託した手紙が
ポーランドで投函されていたのです。
石岡さんの家族は行方不明となっていたが北朝鮮にいる
という事を有本さんの家族にも伝えました。
当時北朝鮮との密接な関係があり、
(朝鮮労働党と社会党は友党関係で、これは現在の社民党でも存続しています)
社会党の議員なら北朝鮮とのパイプがあるという理由から
有本さんの家族は当時勢いがあり知名度のあった地元の土井たか子議員ならと、
土井たか子の事務所に手紙の話を伝え、
拉致されている家族の救出を求めました。
しかしながら、土井たか子事務所はなんの反応も示しませんでした。
(朝鮮労働党と社会党は友党関係で、これは現在の社民党でも存続しています)
社会党の議員なら北朝鮮とのパイプがあるという理由から
有本さんの家族は当時勢いがあり知名度のあった地元の土井たか子議員ならと、
土井たか子の事務所に手紙の話を伝え、
拉致されている家族の救出を求めました。
しかしながら、土井たか子事務所はなんの反応も示しませんでした。
その後も社会党が全く動かない事に気づいて
有本さんの家族は自民党の安倍晋太郎事務所に連絡を取りました。
事を知らされた安倍晋太郎事務所は秘書を同行させ
外務省と警察庁に陳情に回りましたが、
「国交がないのでどうにもできない」と言われただけでなく、
外務省に至っては
「危険ですので、秘密にしておきましょう」
と話をここで止めてしまいました。
有本さんの家族は自民党の安倍晋太郎事務所に連絡を取りました。
事を知らされた安倍晋太郎事務所は秘書を同行させ
外務省と警察庁に陳情に回りましたが、
「国交がないのでどうにもできない」と言われただけでなく、
外務省に至っては
「危険ですので、秘密にしておきましょう」
と話をここで止めてしまいました。
それから時間が経ち、平成2年末にどこから話が漏れ、
週刊文春が有本恵子さんの拉致について家族に取材に来ました。
週刊文春が有本恵子さんの拉致について家族に取材に来ました。
有本さんの家族は「救出のためにはもう表に出すべきではないか」
との考えから取材に応じ、これが拉致被害の最初の実名公表となりました。
との考えから取材に応じ、これが拉致被害の最初の実名公表となりました。
翌年、平成3年(1991年)1月。
石岡、松木、有本の3家族は記者会見を開いて氏名を公表して
拉致被害者救出を訴える事を決めました。
石岡、松木、有本の3家族は記者会見を開いて氏名を公表して
拉致被害者救出を訴える事を決めました。
ところが記者会見を前日に控えた15日夜、
NHKの山本浩記者が「記者会見の前に是非会って欲しい人がいる」と連絡があり、
翌日16日にNHKの崎本利樹記者、田村啓記者にウニタ書舗の遠藤忠夫を紹介されました。
NHKの山本浩記者が「記者会見の前に是非会って欲しい人がいる」と連絡があり、
翌日16日にNHKの崎本利樹記者、田村啓記者にウニタ書舗の遠藤忠夫を紹介されました。
遠藤忠夫は
「拉致問題を公表されては金丸氏訪朝のために一年半あまり努力してきたのがぶちこわしになる。」
「代わりに金日成の主治医に繋がる確かなパイプを持っているので1~2ヶ月待ってもらえれば解決できる。」
と話、会見の中止を要求しました。
「拉致問題を公表されては金丸氏訪朝のために一年半あまり努力してきたのがぶちこわしになる。」
「代わりに金日成の主治医に繋がる確かなパイプを持っているので1~2ヶ月待ってもらえれば解決できる。」
と話、会見の中止を要求しました。
しかし、すでに各社の記者達も呼んでいて会見会場も用意されている状態で、
会見を中止するわけにはいかず、
氏名と住所の公表をしないという形での記者会見となり
実質的に意味の無いものになってしまいました。
会見を中止するわけにはいかず、
氏名と住所の公表をしないという形での記者会見となり
実質的に意味の無いものになってしまいました。
3年後の平成6年3月。
週刊文春が有本恵子さんらの拉致に関する記事を掲載しました。
週刊文春が有本恵子さんらの拉致に関する記事を掲載しました。
今度こそと有本さんの家族は記者会見を求めますが、
記者クラブはこれを無視し、記者会見は開かれませんでした。
記者クラブはこれを無視し、記者会見は開かれませんでした。
有本さんの家族はNHKが元々の記者会見を潰した事
この事についてNHKに説明を再三もとめましたが、
当時社会部長だった井出上伸一は「問題の究明に取り組む」と返答しただけで
一切何もせず、有本さんの家族になんの連絡もしませんでした。
この事についてNHKに説明を再三もとめましたが、
当時社会部長だった井出上伸一は「問題の究明に取り組む」と返答しただけで
一切何もせず、有本さんの家族になんの連絡もしませんでした。
平成13年5月31日に有本朋弘(有本恵子さんの父)が
NHKと総務省宛に質問状を出しました。
総務省も挟む事でNHKも無視し続けるわけにいかなくなり、
NHKは回答を出してきましたが、以下。
NHKと総務省宛に質問状を出しました。
総務省も挟む事でNHKも無視し続けるわけにいかなくなり、
NHKは回答を出してきましたが、以下。
—–
平成13年6月13日
有本明弘様
日本放送協会 報道局
前略
日頃、NHKの放送にご理解をいただきありがとうございます。
ご質問に関して当時の関係者等から聞き取りを行った結果をお伝えします。
平成3年1月16日の記者会見は、「外務省への要請の折、記者会見をしたい」と有本さんからの相談を受けたNHK記者が、学士会館に会場を取り、各社の社会部に声をかけて行われたものです。
これは、外務省や警察庁など関係すると思われる記者クラブでの会見が難しい状況であったためNHK記者が会場を探したものです。
また、遠藤氏については、有本さんたちの会見の予定が決まった後、NHKの別の記者に「有本さんたちに会いたいので紹介してほしい」と電話があり、「有本さんたちが了解されれば」と云うことでご紹介したものです。
遠藤氏は元書店経営者ですが、「日本赤軍」や「よど号グループ」の情報に詳しいとも云われていて各社とも取材を行っていた人物です。
当時、私どもの予想しない情報を持っている可能性もあり、「NHKが判断するのではなく、有本さんたち当事者の方に話を聞いていただき、判断していただこう」と趣旨をお伝えしたうえで話し合いが実現したと理解しておりまして、他意はまったくありません。
いわゆる日本人の拉致疑惑問題につきましては、社会的関心も高く、NHKとしても節目節目で取材・報道をしてきましたし、今後も同様に取材・報道を続けてゆく所存ですので、よろしくご理解の程、お願い申し上げます。
草々
—–
平成13年6月13日
有本明弘様
日本放送協会 報道局
前略
日頃、NHKの放送にご理解をいただきありがとうございます。
ご質問に関して当時の関係者等から聞き取りを行った結果をお伝えします。
平成3年1月16日の記者会見は、「外務省への要請の折、記者会見をしたい」と有本さんからの相談を受けたNHK記者が、学士会館に会場を取り、各社の社会部に声をかけて行われたものです。
これは、外務省や警察庁など関係すると思われる記者クラブでの会見が難しい状況であったためNHK記者が会場を探したものです。
また、遠藤氏については、有本さんたちの会見の予定が決まった後、NHKの別の記者に「有本さんたちに会いたいので紹介してほしい」と電話があり、「有本さんたちが了解されれば」と云うことでご紹介したものです。
遠藤氏は元書店経営者ですが、「日本赤軍」や「よど号グループ」の情報に詳しいとも云われていて各社とも取材を行っていた人物です。
当時、私どもの予想しない情報を持っている可能性もあり、「NHKが判断するのではなく、有本さんたち当事者の方に話を聞いていただき、判断していただこう」と趣旨をお伝えしたうえで話し合いが実現したと理解しておりまして、他意はまったくありません。
いわゆる日本人の拉致疑惑問題につきましては、社会的関心も高く、NHKとしても節目節目で取材・報道をしてきましたし、今後も同様に取材・報道を続けてゆく所存ですので、よろしくご理解の程、お願い申し上げます。
草々
—–
なぜ最初の記者会見の時に情報が遠藤忠夫に漏れていて、
わざわざNHK記者3名が遠藤忠夫を紹介してきたのか、
なぜその後記者会見を一切開かないのか、
そうした部分についてはきちんと回答していません。
わざわざNHK記者3名が遠藤忠夫を紹介してきたのか、
なぜその後記者会見を一切開かないのか、
そうした部分についてはきちんと回答していません。
NHKが北朝鮮の拉致問題隠蔽側として動き、
その後も隠蔽側としてあり続けた証拠だと言っていいでしょう。
その後も隠蔽側としてあり続けた証拠だと言っていいでしょう。
そしてこの質問状の翌年にあの小泉純一郎の電撃訪朝があり、
北朝鮮がようやく拉致を認めたわけですが、
有本恵子さん、石岡亨さんはすでに死亡していたと知らされる事になります。
北朝鮮がようやく拉致を認めたわけですが、
有本恵子さん、石岡亨さんはすでに死亡していたと知らされる事になります。
しかもその有本恵子さん、石岡亨さんの死亡日は昭和63年11月4日。
暖房に使っていた石炭によるガス中毒で死亡したが
その後の洪水で流出してしまったため遺体も残っていないという内容でした。
暖房に使っていた石炭によるガス中毒で死亡したが
その後の洪水で流出してしまったため遺体も残っていないという内容でした。
しかしながら、帰国した拉致被害者から
有本さんの暮らしていた施設では暖房に石炭は使っていない旨証言されており、
北朝鮮の説明の不自然さが裏付けられています。
有本さんの暮らしていた施設では暖房に石炭は使っていない旨証言されており、
北朝鮮の説明の不自然さが裏付けられています。
北朝鮮による国家的組織的拉致が行われている
ということが明らかになっていなかった昭和63年当時。
ということが明らかになっていなかった昭和63年当時。
拉致被害者からの手紙で北朝鮮に拉致されている事を家族が知った。
このことを土井たか子が被害者家族から知らされてから
2ヶ月後に石岡亨さん、有本恵子さんらが亡くなっていたことになります。
2ヶ月後に石岡亨さん、有本恵子さんらが亡くなっていたことになります。
土井たか子が北朝鮮に密告し、
北朝鮮が口封じのために殺した。
当然そういう形で処分された人達の遺体がきちんとした形で埋葬されるはずなどなく、
遺体がない理由について洪水で流されたということにした。
北朝鮮が口封じのために殺した。
当然そういう形で処分された人達の遺体がきちんとした形で埋葬されるはずなどなく、
遺体がない理由について洪水で流されたということにした。
こう考えれば辻褄が合うと思います。
改めて
横田滋さんのご冥福をお祈りすると共に
ご遺族、関係者の方々へ、お悔やみ申し上げます。
一刻も早く、この問題を解決すべく
微力ながら応援させて頂きます。
横田滋さんのご遺族からのメッセージ
先日から入院していた夫の横田滋が本日(令和2年6月5日)午後2時57分、
老衰のため息を引き取りました。
老衰のため息を引き取りました。
これまで安倍総理大臣をはじめ多くの方々に励ましやご支援をいただきながら、
北朝鮮に拉致されためぐみを取り戻すために、主人と二人で頑張ってきましたが、
主人はめぐみに会えることなく力尽き、今は気持ちの整理がつかない状態です。
北朝鮮に拉致されためぐみを取り戻すために、主人と二人で頑張ってきましたが、
主人はめぐみに会えることなく力尽き、今は気持ちの整理がつかない状態です。
報道関係者の皆様におかれましては、主人との最後の時間を大切に過ごし、心
安らかに見送ることができますよう自宅及びその周辺・葬儀会場及びその周辺に
おける取材や写真撮影はご遠慮いただきますようお願い申し上げます。お電話で
の取材もご遠慮願います。
安らかに見送ることができますよう自宅及びその周辺・葬儀会場及びその周辺に
おける取材や写真撮影はご遠慮いただきますようお願い申し上げます。お電話で
の取材もご遠慮願います。
葬儀等終了後に、改めてご報告の機会を設けたいと存じますので、それまでは
何卒、私共の心情をお察しいただき、御配慮のほど宜しくお願い申し上げます。
何卒、私共の心情をお察しいただき、御配慮のほど宜しくお願い申し上げます。
令和2年6月5日
横田早紀江
横田拓也、哲也
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横田早紀江
横田拓也、哲也
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