改めて記載したい…
「横田めぐみさんは君が代を歌っていた」 金賢姫元工作員が明かした衝撃の新事実 母・早紀江さんの眼に涙があふれ…
北朝鮮による拉致被害者の早期救出を訴える集会が11月28日、水戸市で開かれた。昭和52年11月に新潟市から北朝鮮工作員によって北朝鮮に連れ去られた横田めぐみさん(51)=拉致当時(13)=の両親らが参加。北朝鮮で祖国を思い、日本の国歌である「君が代」を歌っためぐみさんの様子が明かされた。拉致被害者らの再調査が始まってすでに1年が経過したが、被害者の帰国はいまだ実現せず、家族は「ふるさと」を熱唱し、一日も早い被害者の奪還を誓った。
「日本人なんだと自分に言い聞かせるように」
めぐみさんの北朝鮮での生活の一端を明らかにしたのは、めぐみさんの母、早紀江さん(79)。平成22年に来日した大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キムヒョンヒ)元北朝鮮工作員から聞いた話として紹介した。
「軽井沢で金賢姫さんにお目にかかっていろいろお話を聞かせていただきました。招待所というところにめぐみはおかれていたのですが、そこに金賢姫さんがスクヒさんというめぐみが日本語を教えていた人と訪ねていったことがあるそうです」
スクヒというのは、めぐみさんが日本語や日本の生活習慣について教えていた金淑姫(キムスッキ)という女性工作員。金賢姫元工作員の同僚の女性だった。金賢姫元工作員の証言によれば、2人がめぐみさんに会いにいったのは1984(昭和59)年とされている。
「久しぶりに会うものですから、気まずくてみんなが黙りこくっているもので、『何か歌を歌いましょう』ということになって、『めぐみちゃんが歌を歌ってくれました』ということでした。その歌は何だったと思いますか?」。会場に早紀江さんは問いかけるように話し、「めぐみは一生懸命に君が代を歌ったと聞きました。『私は日本人なんだ』。それを自分に言い聞かせるために君が代を一生懸命高い声で歌ったのだと思います」と続けた。
こっそりと日本の歌を口に
歌はめぐみさんと切り離せない存在として知られている。小学校6年のとき、卒業式の謝恩会でシューマンの合唱曲「流浪の民」を学年全員が歌った際には、歌が上手だっためぐみさんが担任のすすめでソプラノを独唱。その歌声はテープに収められ、家族が大切に持っている。
北朝鮮に拉致されてからも、歌はめぐみさんの心を慰めていた。拉致された翌年の1978(昭和53)年から一時期、一緒の招待所で暮らした曽我ひとみさん(56)は2人で外に出かけた際、日本の歌をこっそりと歌っていたことを明らかにしている。日本語を話したり、日本の歌を歌ったりしているのが北朝鮮当局に見つかれば、怒られることは分かっていた。それでも2人は故郷を思いながら、日本の歌を歌っていたのだ。
母の決意「必ず助けなければ」
11月28日の集会の最後には、早紀江さんとめぐみさんの父、滋さん(83)、田口八重子さん(60)の兄で家族会代表の飯塚繁雄さん(77)が聴衆とともに、唱歌「ふるさと」を歌った。
今も北朝鮮でとらわれの身となっている拉致被害者の境遇に心を寄せ、奪還を誓う聴衆たち。拉致から38年が過ぎてもいまだ帰国を果たせないめぐみさんを想像し、涙が出たのだろう。早紀江さんは歌いながら、時折、目をぬぐっていた。
日本人なんだと自分に言い聞かせるようにめぐみさんが君が代を歌っていたことを紹介した後、早紀江さんはこう訴えた。「(拉致被害者)みんな、そのような思いで向こうで待っていると思っているのです。必ず助けなければなりません」。めぐみさんやほかの被害者奪還に込めた母の強い決意を聞き、会場には、いまだに被害者を返そうとしない北朝鮮に対する怒りが広がった。