ポーランドの上流の教育を受け繊細な詩人の感受性を持つスビエンコフ、すべてはポーランドの本当の独立の夢みることから始まった。ロシアによって運動は打ち砕かれ、サンクト・ペテルブルグに捕らえられる。コサックの残虐な監視のもと、鉱山労働に耐えシベリアを東へ東へさすらった。仲間はすべて殺されたが、自ら残虐行為を犯しつつ一人カムチャッカまで生き延びた。ヨーロッパへの帰還を願い、ベーリング海峡をわたってアラスカに至ることを目指した。数々の失敗ののち渡ることに成功する。アラスカの辺境民族のただなかで、人を寄せつけぬ連山の東方から伝わってくる「悪鬼の様に戦い、いつも毛皮を探し求めている青い目をした金髪の白い肌の男達」の噂に、ヨーロッパへの郷愁は絶ちがたい。やがてロシア人、モンゴル人等多くの人種からなる、よりぬき荒くれの探検隊の副官と成り、先へ乗り出す。基地を作るためにヌラートの先住民(インディアン)を酷使し、毛皮泥棒独特の野蛮な仕打ちで収奪した。それは「確かに血を蒔く仕事だったが、やがて収穫の時がやってきた。」搾取者全員、反抗する先住民の手に堕ちる。生きて捕まったのは、スビエンコフと仲間のコサックの一人。彼らは、時間をかけて男よりも残酷な拷問を行う女たちの手にかかる順を待つ。まず神経を持たぬ鉄のようなコサックさえ、時間をかけて悲鳴をあげ続ける肉塊となった。スビエンコフはあられもない声をあげる事態を何とか回避しようと頭を廻らせる・・・
ならず者達の並外れた暴力のせめぎあいの背後に、ものいわぬ巨大な大陸そのものの持つ恐怖が控えている。文明の地は地平線の無限の連なりの先にあり、ノスタルジーは食えない男の胸を焼く。
----------------------------------------
ポーランドという国の歴史は恐ろしく複雑である。15世紀にリトアニアと連合共和国を作り、中欧・東欧のほとんどを支配するようになってゆく。その力は17世初頭のモスクワ占領におよんだ。政治体制も、上級貴族に限られてはいたが、他の国家にない自由の精神があったらしい。非キリスト教国であったリトアニアの影響からか、宗教的にも寛大で、ユダヤ人やジンギスカン帝国の末裔であるイスラム信奉のタタール人も合流した。自由で誇り高い性質は私の数人の友達にも残されているような気がする。スラブ系民族が中心であるが、農民的で粘り強いロシア人とは体質が異なるような気がする。16世紀はじめからオスマン帝国に押され、やがて台頭してきたロシアに押され18世紀の3度のポーランド分割につながってゆく。19世紀には周辺強国の属国のようになり、何度も独立運動が繰り返され、鎮圧された。
この話はその19世紀の話であろうか。しかしユーコン川に先住民以外の人が入るようになったのは18世紀半ばという。するとやはりポーランドの分割が繰り返された18世紀後半を念頭に置いているのであろう。ジャック・ロンドンは米国人であり、1897年にゴールド・ラッシュに沸くアラスカのユーコン川あたりに赴いている(鍋島能弘[1])。彼には『野性の呼び声』に限らず、経験を元にした辺境の興味深い短編が多いのである。ちなみに米国によるロシアからのアラスカ購入は1867年のことである。
この小説に登場するコサックはウクライナ近辺の自治的軍閥のようなものである。勇猛で名高いが、やがて上記連合共和国やロシアに利用されるようになった。現在(2014年3月)のウクライナ情勢は、この古いポーランドとロシアの勢力図を反映している。そもそもポーランドとロシアの因縁はとても深い。
◎帝政ロシアによるポーランド人のシベリア流刑、ロシア革命時のポーランド軍団の介入。19世紀末にはロシアによって樺太流刑になったピウスツキと言うポーランド人がいて、刑期終了後樺太アイヌと結婚し、子供を残した。その弟もロシア皇帝アレクサンドル3世暗殺計画発覚でバイカル湖に近い地に流刑となっている。彼はその後第二次ポーランド共和国の建国の父となった。
◎ソヴィエトによるカティンの森におけるポーランド将校の大虐殺。ナチスに対する抵抗で立ち上がったワルシャワの人々を傍観したソヴィエト軍。ソヴィエトの推す共産党政権樹立。「社会主義」を震撼させたポズナン暴動。アンジェイ・ワイダによる「灰とダイヤモンド」の映画化。レフ・ヴァウェンサ(ワレサ)による連帯。詳しくは述べぬが、ソヴィエトに対する恨みと共産党政権に対する抵抗がある。
ヨーロッパで国や民族を話題にすると、すぐに歴史問題の機微に触れ、はっとさせられる。歴史問題は、東アジアよりもヨーロッパで長く深く突き詰められているのだろう。
[1] 現代アメリカ文学全集14:ジャック・ロンドン著、西崎一郎訳『面よごし』 in 「白い沈黙他短篇集・野生の呼び声」荒地出版社、1958
[2] J.L. ボルヘス編:バベルの図書館 5:ジャック・ロンドン著、井上謙治訳『恥っかき』in「死の同心円」国書刊行会、1988
[1], [2]は同じ文の別訳である。なおウィキペディアの多くの頁を参照させていただいた。
豈53号(2013)を訂正改稿 <寡読録一 ジャック・ロンドン『面よごし』>
ならず者達の並外れた暴力のせめぎあいの背後に、ものいわぬ巨大な大陸そのものの持つ恐怖が控えている。文明の地は地平線の無限の連なりの先にあり、ノスタルジーは食えない男の胸を焼く。
----------------------------------------
ポーランドという国の歴史は恐ろしく複雑である。15世紀にリトアニアと連合共和国を作り、中欧・東欧のほとんどを支配するようになってゆく。その力は17世初頭のモスクワ占領におよんだ。政治体制も、上級貴族に限られてはいたが、他の国家にない自由の精神があったらしい。非キリスト教国であったリトアニアの影響からか、宗教的にも寛大で、ユダヤ人やジンギスカン帝国の末裔であるイスラム信奉のタタール人も合流した。自由で誇り高い性質は私の数人の友達にも残されているような気がする。スラブ系民族が中心であるが、農民的で粘り強いロシア人とは体質が異なるような気がする。16世紀はじめからオスマン帝国に押され、やがて台頭してきたロシアに押され18世紀の3度のポーランド分割につながってゆく。19世紀には周辺強国の属国のようになり、何度も独立運動が繰り返され、鎮圧された。
この話はその19世紀の話であろうか。しかしユーコン川に先住民以外の人が入るようになったのは18世紀半ばという。するとやはりポーランドの分割が繰り返された18世紀後半を念頭に置いているのであろう。ジャック・ロンドンは米国人であり、1897年にゴールド・ラッシュに沸くアラスカのユーコン川あたりに赴いている(鍋島能弘[1])。彼には『野性の呼び声』に限らず、経験を元にした辺境の興味深い短編が多いのである。ちなみに米国によるロシアからのアラスカ購入は1867年のことである。
この小説に登場するコサックはウクライナ近辺の自治的軍閥のようなものである。勇猛で名高いが、やがて上記連合共和国やロシアに利用されるようになった。現在(2014年3月)のウクライナ情勢は、この古いポーランドとロシアの勢力図を反映している。そもそもポーランドとロシアの因縁はとても深い。
◎帝政ロシアによるポーランド人のシベリア流刑、ロシア革命時のポーランド軍団の介入。19世紀末にはロシアによって樺太流刑になったピウスツキと言うポーランド人がいて、刑期終了後樺太アイヌと結婚し、子供を残した。その弟もロシア皇帝アレクサンドル3世暗殺計画発覚でバイカル湖に近い地に流刑となっている。彼はその後第二次ポーランド共和国の建国の父となった。
◎ソヴィエトによるカティンの森におけるポーランド将校の大虐殺。ナチスに対する抵抗で立ち上がったワルシャワの人々を傍観したソヴィエト軍。ソヴィエトの推す共産党政権樹立。「社会主義」を震撼させたポズナン暴動。アンジェイ・ワイダによる「灰とダイヤモンド」の映画化。レフ・ヴァウェンサ(ワレサ)による連帯。詳しくは述べぬが、ソヴィエトに対する恨みと共産党政権に対する抵抗がある。
ヨーロッパで国や民族を話題にすると、すぐに歴史問題の機微に触れ、はっとさせられる。歴史問題は、東アジアよりもヨーロッパで長く深く突き詰められているのだろう。
[1] 現代アメリカ文学全集14:ジャック・ロンドン著、西崎一郎訳『面よごし』 in 「白い沈黙他短篇集・野生の呼び声」荒地出版社、1958
[2] J.L. ボルヘス編:バベルの図書館 5:ジャック・ロンドン著、井上謙治訳『恥っかき』in「死の同心円」国書刊行会、1988
[1], [2]は同じ文の別訳である。なおウィキペディアの多くの頁を参照させていただいた。
豈53号(2013)を訂正改稿 <寡読録一 ジャック・ロンドン『面よごし』>
http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/1292/1/e_50101tujii.pdf