土塊も襤褸も空へ昇り行く:北村虻曳

随想・定型短詩(短歌・俳句・川柳)・写真
2013/11/11開設

丹後空襲の周辺

2014-07-31 | 随想
<丹後空襲の周辺>



終戦直後の頃、父に連れられて宮津に行ったところ、海には大きな船が擱座していました。河か海岸か定かではないが、砂の上には戦闘機のようなものが墜落していて、近所の子供が乗って遊んでいました。私も操縦席に座らせてもらったような記憶があります。米軍機のように記憶しており、場所も宮津近辺だと思っているのですが、すべておぼろな記憶です。
今ネットで調べると、いろいろな記録がありました。(a)では、船は関釜連絡船の「昌慶丸」で、(b)に拠れば、戦闘機はF4Uコルセアでしょうか。これらの遺物はいずれも昭和20年7月30日にあった舞鶴、宮津、伊根の米軍による空襲の結果のようです。私の頼りない記憶は幻ではなかったのです。

昌慶丸は、はじめ関釜連絡船として活用されています。日本の朝鮮に対する植民地政策上の関釜連絡船の役割とその紆余曲折については(c)に詳しい。いずれにしても非常に多くの朝鮮人労働者を運んだようです。(d)によれば、釜山港で座礁し、約1ヶ月後離脱し、やがて博多湾で機雷封鎖に遭う。その後脱出し上述のように宮津で擱座、戦後再び修復されて青函連絡船に用いられたという。私の頭にある像も、煙突が複数あり、軍艦とは思えない形をしています。
(a)を見ますと、この船にかぎらずこの時に宮津近辺にいた駆逐艦なども、大変数奇な運命をたどっているようです。いや「氷川丸」など、長生きした船は皆いろいろな転生を重ねているようですが。
なお昌慶丸を慶尚丸、慶昌丸とする人も多いのですが、「壱岐丸」「対馬丸」「高麗丸」「新羅丸」など、地名を名前にした関釜連絡船が多いために、これも地方名「慶尚道」を採ったと思い込む誤りだと思います。

戦闘機の方についても、(a)に操縦士、墜落地点、状況が記されている。国道に墜落したようですが、後で砂浜に運ばれたのでしょう。
小学校の頃、友達がどこからか手に入れてきてこするといい匂いのする「防弾ガラス」の欠片がありました。匂いがするというのは本当のガラスではなくてアクリル樹脂だったということでしょう。防弾ガラスはこの宮津のような現場から入手され、子供の手に次々渡されて、私の居た綾部くんだりまでやってくるのだろうかと想像しました。これは私にかぎらず当時の誰にも印象深い物質なのでしょう。(e)を見ると、中島みゆきの曲、唐十郎の脚本にも「匂いガラス」として登場します。

この空襲の日より前でしょうが、私は夜、北の空にワイパーのように動き交差する妖しい幾条ものサーチライトを見ています。綾部にいたのでちょうど舞鶴の空です。舞鶴は日本海側にあるただ1つの軍港だったそうで、模擬原爆パンプキンが投下されるなど非常事態にあったのです。
私の元同僚は海軍兵学校舞鶴分校出身で、爆撃のあとの倉庫の整理に携わったが、その惨状は彼の人生観を変えるほどのものだったといいます。
(f), (g)のどちらも後半に爆撃による被害、惨状が記されています。しかし「舞鶴空襲は、爆撃を受けた場所が軍港構内という特定の区域に限られていたため、すべてが軍事機密として処理されていて、その詳細な記録が発見されず、一切の正確な数値を知るに至っていない。」との『舞鶴市史』からの引用もあります。

私の住んでいたのは、物資はないとはいえのどかな綾部で、舞鶴から30kmあまりのところです。近くでこれほどの実戦が行われていたのです。このメモを作ることでようやく、丹後空襲の輪郭と自分の記憶の関係をつかむことが出来ました。

最後に余談ですが、終戦直後の話です。中丹にも米軍がやってくるという話があり、親は緊張していました。私達には「ウロウロしていると射殺されるかもしれん」と注意していました。ある日、外に一人で立っていると、綾部の東から1機の飛行機が盆地に突っ込むように現れました。それは低くまで降りてきて操縦士もはっきり見えました。そしてあっという間に福知山の方角に消えました。何も起こりませんでした。戦中は複葉機なども含めて日本の飛行機は見ていましたが、もう日本の飛行機は飛んでいないはずです。
近年、爺さん同志で集まったときにこの話をしたところ、親が郡是製糸関係の一人が「それや」と言いました。彼はおばあさんに連れられて散歩しているときこの飛行機を見たようです。その瞬間、おばあさんが彼を畑に伏せさせ、自分の体で彼の身体を覆ったそうです。彼の住まいはこの時の飛行路のほぼ真下でした。
後に東京で、立川近辺に住んでいた担任の先生からグラマンの機銃掃射で人間の胴体に穴が開く話を聞きました。私は形からしてあれはきっとグラマンだったと思っています。

(a) http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/miyazukuusyu.html
(b) http://sky.geocities.jp/toyotama2012/kansaiki.html
(c) http://www.kiu.ac.jp/organization/library/memoir/img/pdf/keizai18-1-005ryoo.pdf
(d) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8C%E6%85%B6%E4%B8%B8
(e) http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2461283
(f) http://www.geocities.jp/k_saito_site/maizurukusyu0.html
(g) http://www.geocities.jp/k_saito_site/bunkn18.html#mzrkusyu8

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