土塊も襤褸も空へ昇り行く:北村虻曳

随想・定型短詩(短歌・俳句・川柳)・写真
2013/11/11開設

地名の変化

2016-12-13 | 随想
<地名の変化> 写真:大阪府交野市傍示

★ 「アキハバラ」か「アキバハラ」か。これはウィキペディアによると難しい問題だ。アキハッパラ、アキバッパラ、アキハノハラ、アキバノハラ、アキハガハラ、アキバガハラが挙がっている。漢字表記はカナ部分の補い方も多様だ。今の通称は「アキバ」かもしれないが。

★ 京都で似たのは西院である。京福駅名は「サイ」、阪急では「サイイン」だそうだ。「サイン」と言う読み方もあった。

★ 文字よりも話し言葉のウエイトが高い時代に、発音しやすかった言葉が「なまり」などとして流通していた。しかし活字や看板で文字の比重が高くなり、離れた土地の人との交流も増えて、簡単な教科書的法則に従う読みが増えていったということであろう。

★ 逆に同じ読みに異なる漢字を当てることもある。僕の住む近くには「田原」と「俵口」があるが、地形関係から後者は前者の入り口と見られたのだろう。この田原と俵が通じることは名字でも意識されている

★ 北河内に交野山(こうのさん)と呼ばれる山がある。低いが頂上の巨岩からの見晴らしが良い。これは交野(かたの)の東にあるから妙な呼び方である。交野の地名は本来、肩野物部氏の本拠地であった。(この物部氏が美作国に移り製鉄集団をなしたと言う。)漢字が同音の漢字に変えられ、読み方がさらに「こうのさん」とそっけないものに変わったわけである。

★ 「小坂」→「大坂」→「大阪」の変遷は、言葉の自然な力学任せの変化というより意図的な感じを受ける。何らかの意味でより「好ましい」字に変えていったようだ。ウィキペディアやブログを見ると、権力者の意向もあったかもしれない。今なら不動産を宅建業者が売りやすいように、分譲地の元の地名をわかりやすい明朗な名前に付け変えるるようなものである。元の地名に関係なく「緑が丘」などとすることが多い。

★ 業者といえば、地名ではないがJRも路線に「愛称」といういろいろな命名を行っている。「埼京線」「嵯峨野線」「ゆめ咲き線」など。これらも自然発生的ではないし、「埼京線」以外は定着率も悪いのではないだろうか。なお、JRが「愛称」にとどめているのは、変更の法律上の手続きが難しいからである。

★ テレビで東京の地名江古田を「エコダ」と言っているので違和感があった。小学校の時代、練馬区に少し暮らしたが「エゴタ」と聞いていたからだ。「エゴタ」の方が語呂もよい。直感的に「エコダ」は「新住民」の言葉だろうと言う気がした。やはりこのブログでこの見方は補強される。そこには西武池袋線の方は新田開発地で、本村は中野の方にあると書いてある。西武鉄道が駅名に「エコダ」という読みを導入したが、地下鉄大江戸線では「シンエゴタ」とした。

★ 現代では役所、宅地造成業者、鉄道が力を持っていて、その恣意的な地名変更でしばしばトラブルを起こしている。
とりわけ、浦和市、大宮市、与野市が合併してできた「さいたま市」ができたのだが、その完成に至る長年の議論は印象に残る。「さ」の字の字体まで議論されたそうだ。そして浦和区、大宮区、岩槻区は残ったが与野区はできなかった。「与野」も鎌倉時代から名前が登場し、浦和、大宮を凌ぐ時期もあったのだが。

★ 古い歴史的あるいは愛着のある地名を守るために、故谷川健一氏が作られた「地名を守る会」は「日本地名研究所」に発展して、今も活動を続けている。

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