大和平野から大阪平野への徒歩道(脱線リンク付き) 1.
これは年寄りによるウォーキング案内である。低い山を越えて街中を含め、たかだか15km程度歩く話である。道は2010年-2014年の状態を指している。
大和平野西部から大阪平野に出るには実に多くのコースがある。生駒山・信貴山・二上山・葛城山、最後のものをのぞいてそう高くはないからである。私の居所に近い、生駒・四條畷から大阪に向かうことは、その逆よりはかなり楽である。WEBにある某氏の測定によれば新石切駅と生駒駅では生駒駅がおよそ120m高いそうである。この差、僅かとおっしゃるかもしれないが、私には大きい。近鉄奈良線は生駒山系の西側を走る逆断層を斜めに登って行き、石切から新生駒トンネルで山をまっすぐにくぐるようになっている。
しかしこのトンネルの中途からブレーキが効かなくなった電車が河内花園駅まで暴走した大事故があった。ブレーキ故障に気がついたトンネルの出口付近から測れば6kmほどであろうか。この事故の報告は多いが詳しくてユニークなものは、中井準之助「私の戦後史と日本共産党論:迷路の道標」(文芸社)であろうか。
詳しく言うと中央付近から西は急勾配25/1000で大阪に向かって下がり、東は逆に生駒に3/1000で向かって下がる。近鉄電車でトンネル火災に遭遇したら、まずだれでも近い方の出口に逃げる事を考える。下り坂で楽である。少し考えると、高低差でによる煙突効果で煙は概ね生駒方向に流れるだろう。窒息を避けて大阪側に逃げるべきか。貨車は普通通らないから燃える油が流れてくる可能性は少ないだろう。気になってネットで調べるともっと賢明な意見が載っていた。実際の火災の経験者が、指に唾を付けて風向きを知り大阪方向に逃げて助かっている。
ご存知と思うが、濡れた指は風上側が気化熱を奪われて冷たく感じるのである。このとき大多数の人は近い生駒方向に逃げて28名が窒息で亡くなった。彼はその時の外の風(浜風)の影響が強いとも推測している。
火災は、旧トンネルで戦後二年連続して起こっているのである。
トンネルを歩くことは、これまた賢明な元の私の同僚二人が独立して達成している。当時の近大、学生のみならず教師もバンカラであった。大阪、恐らく難波でしたたか飲み、終電に遅れ、歩いてそれぞれ学園前と生駒北部の自宅を目指した。この時生駒山は大障壁である。阪奈道路はかなり高いところを通るし、車がむちゃくちゃ危険。横切るだけでも命がけである。当然答えは毎日通っている新生駒トンネルということになる。長いトンネルは泥酔者にも不気味だったそうである。帰り着くとズボンの裾が真っ黒になっていたという。昭和45年ぐらいのことであろう。電車が炭化物を撒き散らすのだろうか。新トンネルだから電車火災の名残ではない。先生方、帰り着いても今度は奥さんが怖かったのではないだろうか。
さて道を歩くことに話を戻す。細い山道は、スズメバチ、はぐれ猟犬、野良犬、イノシシなどとの遭遇の率が高くなる。幸い近辺には、熊ははぐれ熊も出没しない。私は山中では野良犬にあったことはないし、イノシシはヌタバつまり泥浴びの跡しか見たことがない。スズメバチはたっぷり味わった(参照「蜂の八話」)。狭い熊笹道ではぐれ猟犬と対峙したこともある。山道で2匹のドーベルマンに纏わりつかれたこともある。そのときは必死で何気ない顔をして歩いた。飼い主は近くにいたが、犬を呼び寄せただけで私には何の挨拶もなかった。怖い犬を放つやつはそれなりに怖い仕事の人が多い。
いちどは生駒山の北で道無き道を進んで小道に出たとき、猛烈な悪臭が襲った。その強さのために糞便臭かどうか判別がつかない。谷の先に簡便な工場のような建物が見えた。そのときは苦労して抜けた藪に戻るわけに行かないからそのまま進んだ。イナゴなどの昆虫が異様に多かったことを覚えている。周辺に哺乳類や鳥類、爬虫類が近づきにくいのであろうか。魚粉の製造か鶏糞の発酵か、いまも正体を知らない。(続報:下記参照)
というわけで大きな自動車の通る道やそれに沿う旧道など、人の歩くそこそこの道を考える。自動車の通る道とゴルフ場は歩くものの大変な邪魔であるが、日暮れの藪から抜け出せたときには実に有難い。
まず頭においておくのは、障壁である山の大きな切れ目、奈良から大阪へ流れる河川である。
一つは生駒断層の北寄りを侵食して北北西に流れ淀川へ流入する天野川、もう一つは信貴山と二上山の間を西へ流れる大和川である。
目立つ道は並走する国道の名前で言うと北から順に、
A.天野川沿いの国道168号線、
B.清滝街道つまり国道163号線、
C.阪奈道路、
D.暗峠のある国道308号線(有料の第二阪奈道路の上)、
E.四日市から王寺、天王寺を通り大和川にそって大阪に入り梅新にいたる国道25号線、
F.竹内峠を越える国道166号線(有料の南阪奈道路が沿う)
である。これらの道の様子を報告しよう。
A. 天野川経路
生駒から危ない自動車道を避けて、こんなに楽に北河内に達するルートをこれまで知らなかった。ただし自転車は無理である。
168号線は新宮から紀伊半島のド真中を貫き枚方に至る南北の道である。我が居所の近くに大和川水系と淀川水系の分水点があり、これより北の水は天野川に流れ込む。日中1時間に一本程度の生駒駅発北田原行奈良交通バスに乗り終点で降りるとよい。
ホテルラフティを越えると歩道がなくなるが、天野川の橋があるので左岸に渡る。ここが奈良県生駒市北田原町と大阪府交野市私市の境である。左岸の「道」はせまくて草が茂り毛虫に注意だが、平で車を完全に避ける事ができる。やがて左岸も歩道付き車道となり500mで磐船神社に到着。この神社は天野川に沢山の巨大な岩が折り重なって蓋をしている感じである。500円の拝観料を払い白い衣を借りて岩の間をくぐることができる。入ると恐怖を覚える。その迫力は、例えばここをご覧になるとわかるだろう。詳しく説明すると友人の奥さんは絶対行かないと宣言した。閉所恐怖症だそうだ。川の増水によって入れない日もあるようだ。
メインの車道はこの神社の巨岩を新磐船トンネルで避けている。
やがて道は山道となり国道をショートカットする。ここは自転車は無理。再び国道に戻ったところから150mばかり歩道のないところが続く。やがて府民の森星田園地へ入る橋を左に渡ってセーフ。すぐ人工壁のクライミングウォールが目に入る。平成9年に開催された「なみはや国体」の公式競技場になったそうでこれも迫力がある。むろん私はパス。続いて適当に登って行けば「星のブランコ]なる大吊橋。でも私はかすれた案内板を読み間違えて吊り橋のところを繰り返してしまった。
あとで気がついたのだが、磐船神社を出て100mのところにあるコーヒー・ログハウス「古時計のおじいさん」の手前で左手の山に入れば自動車の危険を避ける事が出来たのだ。ここからJR片町線星田駅を目指すと近道だが、少しウロウロしないとクライミングウォールや吊り橋を見ることが出来なくなる。
いずれにせよ、標高200mちょっとを越えて、団地の間を抜ける星田妙見川にそって2.5kmほど下れば片町線星田の駅に出る。
全行程無駄なく歩けば8km程だろうか。この辺りで京阪本線まで歩くとすればかなり遠くなる。特に知識と地図やナビ無しで歩けばまごつくこと必定。でも茄子作(なすづくり)という集落に迷い込めばもうけもの。古い民家が沢山残されている。岸本信夫さんのいいスケッチがある。星田駅から京阪本線で一番近い香里園駅まで直線で4kmあまりだから、ヘタするとその倍かかる。私は冬の15:30に生駒を出発したりするから、星田妙見の平地に出た時点ですでに真っ暗だ。
ところで星田などというロマンティックな地名は何だ。一つは弘法大師の徳に絡む話で、獅子窟寺で修行中、旧星田村の星の森、降星山光林寺、妙見山小松神社の三箇所に北斗七星が分かれて降ったというものである。北斗七星はまだ空に残っているのではなかったのかな。訪れていないがそれぞれ石が祭られているようだ。この星の名前は気に入られて当地でいろいろ用いられている。天野川は天の川で七夕伝説も絡められている。「ほしだ」のロマンティックでない解釈は、干し田、乾し田である。この辺から先は天野川が生駒山系から花崗岩を削りとってできた砂が堆積して天井川をなしているという。水がたまりにくいのだろう。この川砂は白くて美しく天の川の星のようである。
★ 上で生駒北部で遭遇した猛烈な悪臭についてのべた。正体とその後を見届けたので報告しておく。
当時の悪臭の発生源は阪神畜産の養豚業であった。その凄さはかなり離れた大阪の団地の住民からもネットでさかんに訴えられていた。しかしフェイスブックの友人TNさんから「経営者が変わってそういうことにとても気をつけておられる」という情報を得た。そこで本日確かめに出た。
自宅より清滝峠を超えて逢坂まで行き、問題の谷に踏み込んだ。その建物から風が吹いてもまったく臭わない。しかし僕の鼻は老化と鼻炎で嗅覚が非常に落ちているから住民にたしかめる必要がある。幸い畜産の建物の横の畑で作業している人がいた。すると畜産は2,3年前に移転したと言う。住民と話し合いがあったらしい。
そういえばネットの苦情も新しいものがない。ここの問題は解決したのである。岡山の方に移られたようだ。そこでうまくいっておればよいが。(2020.01.11加筆)
★ 更に加筆する。阪神畜産は経営者が代わり社名も2018年から「ファロスファーム」となったようである。会社のホームページは http://pharosfarm.jp/company/ である。上の加筆で「岡山」としたが岡山県ではなくて近くの四條畷の「岡山」であった。そこが本社となった。ホームページでは、「生命の尊さを認識し、地域の活性化に寄与し、エコでクリーンな食肉生産を通じて養豚業界の灯台になる。」と目標は高く、TNさんの言われるように、とても好感の持てるものとなっている。地域との交流も歌われており、僕が広島や鳥取の現場に行くことはできないが、上で述べた問題にも配慮されているのであろう。社員のブログ https://ameblo.jp/pharosfarm/ も有り社内も良い雰囲気なのであろう。批判を述べたがその後を見て報告しておく責任を感じた。(2020.10.24加筆)
これは年寄りによるウォーキング案内である。低い山を越えて街中を含め、たかだか15km程度歩く話である。道は2010年-2014年の状態を指している。
大和平野西部から大阪平野に出るには実に多くのコースがある。生駒山・信貴山・二上山・葛城山、最後のものをのぞいてそう高くはないからである。私の居所に近い、生駒・四條畷から大阪に向かうことは、その逆よりはかなり楽である。WEBにある某氏の測定によれば新石切駅と生駒駅では生駒駅がおよそ120m高いそうである。この差、僅かとおっしゃるかもしれないが、私には大きい。近鉄奈良線は生駒山系の西側を走る逆断層を斜めに登って行き、石切から新生駒トンネルで山をまっすぐにくぐるようになっている。
しかしこのトンネルの中途からブレーキが効かなくなった電車が河内花園駅まで暴走した大事故があった。ブレーキ故障に気がついたトンネルの出口付近から測れば6kmほどであろうか。この事故の報告は多いが詳しくてユニークなものは、中井準之助「私の戦後史と日本共産党論:迷路の道標」(文芸社)であろうか。
詳しく言うと中央付近から西は急勾配25/1000で大阪に向かって下がり、東は逆に生駒に3/1000で向かって下がる。近鉄電車でトンネル火災に遭遇したら、まずだれでも近い方の出口に逃げる事を考える。下り坂で楽である。少し考えると、高低差でによる煙突効果で煙は概ね生駒方向に流れるだろう。窒息を避けて大阪側に逃げるべきか。貨車は普通通らないから燃える油が流れてくる可能性は少ないだろう。気になってネットで調べるともっと賢明な意見が載っていた。実際の火災の経験者が、指に唾を付けて風向きを知り大阪方向に逃げて助かっている。
ご存知と思うが、濡れた指は風上側が気化熱を奪われて冷たく感じるのである。このとき大多数の人は近い生駒方向に逃げて28名が窒息で亡くなった。彼はその時の外の風(浜風)の影響が強いとも推測している。
火災は、旧トンネルで戦後二年連続して起こっているのである。
トンネルを歩くことは、これまた賢明な元の私の同僚二人が独立して達成している。当時の近大、学生のみならず教師もバンカラであった。大阪、恐らく難波でしたたか飲み、終電に遅れ、歩いてそれぞれ学園前と生駒北部の自宅を目指した。この時生駒山は大障壁である。阪奈道路はかなり高いところを通るし、車がむちゃくちゃ危険。横切るだけでも命がけである。当然答えは毎日通っている新生駒トンネルということになる。長いトンネルは泥酔者にも不気味だったそうである。帰り着くとズボンの裾が真っ黒になっていたという。昭和45年ぐらいのことであろう。電車が炭化物を撒き散らすのだろうか。新トンネルだから電車火災の名残ではない。先生方、帰り着いても今度は奥さんが怖かったのではないだろうか。
さて道を歩くことに話を戻す。細い山道は、スズメバチ、はぐれ猟犬、野良犬、イノシシなどとの遭遇の率が高くなる。幸い近辺には、熊ははぐれ熊も出没しない。私は山中では野良犬にあったことはないし、イノシシはヌタバつまり泥浴びの跡しか見たことがない。スズメバチはたっぷり味わった(参照「蜂の八話」)。狭い熊笹道ではぐれ猟犬と対峙したこともある。山道で2匹のドーベルマンに纏わりつかれたこともある。そのときは必死で何気ない顔をして歩いた。飼い主は近くにいたが、犬を呼び寄せただけで私には何の挨拶もなかった。怖い犬を放つやつはそれなりに怖い仕事の人が多い。
いちどは生駒山の北で道無き道を進んで小道に出たとき、猛烈な悪臭が襲った。その強さのために糞便臭かどうか判別がつかない。谷の先に簡便な工場のような建物が見えた。そのときは苦労して抜けた藪に戻るわけに行かないからそのまま進んだ。イナゴなどの昆虫が異様に多かったことを覚えている。周辺に哺乳類や鳥類、爬虫類が近づきにくいのであろうか。魚粉の製造か鶏糞の発酵か、いまも正体を知らない。(続報:下記参照)
というわけで大きな自動車の通る道やそれに沿う旧道など、人の歩くそこそこの道を考える。自動車の通る道とゴルフ場は歩くものの大変な邪魔であるが、日暮れの藪から抜け出せたときには実に有難い。
まず頭においておくのは、障壁である山の大きな切れ目、奈良から大阪へ流れる河川である。
一つは生駒断層の北寄りを侵食して北北西に流れ淀川へ流入する天野川、もう一つは信貴山と二上山の間を西へ流れる大和川である。
目立つ道は並走する国道の名前で言うと北から順に、
A.天野川沿いの国道168号線、
B.清滝街道つまり国道163号線、
C.阪奈道路、
D.暗峠のある国道308号線(有料の第二阪奈道路の上)、
E.四日市から王寺、天王寺を通り大和川にそって大阪に入り梅新にいたる国道25号線、
F.竹内峠を越える国道166号線(有料の南阪奈道路が沿う)
である。これらの道の様子を報告しよう。
A. 天野川経路
生駒から危ない自動車道を避けて、こんなに楽に北河内に達するルートをこれまで知らなかった。ただし自転車は無理である。
168号線は新宮から紀伊半島のド真中を貫き枚方に至る南北の道である。我が居所の近くに大和川水系と淀川水系の分水点があり、これより北の水は天野川に流れ込む。日中1時間に一本程度の生駒駅発北田原行奈良交通バスに乗り終点で降りるとよい。
ホテルラフティを越えると歩道がなくなるが、天野川の橋があるので左岸に渡る。ここが奈良県生駒市北田原町と大阪府交野市私市の境である。左岸の「道」はせまくて草が茂り毛虫に注意だが、平で車を完全に避ける事ができる。やがて左岸も歩道付き車道となり500mで磐船神社に到着。この神社は天野川に沢山の巨大な岩が折り重なって蓋をしている感じである。500円の拝観料を払い白い衣を借りて岩の間をくぐることができる。入ると恐怖を覚える。その迫力は、例えばここをご覧になるとわかるだろう。詳しく説明すると友人の奥さんは絶対行かないと宣言した。閉所恐怖症だそうだ。川の増水によって入れない日もあるようだ。
メインの車道はこの神社の巨岩を新磐船トンネルで避けている。
やがて道は山道となり国道をショートカットする。ここは自転車は無理。再び国道に戻ったところから150mばかり歩道のないところが続く。やがて府民の森星田園地へ入る橋を左に渡ってセーフ。すぐ人工壁のクライミングウォールが目に入る。平成9年に開催された「なみはや国体」の公式競技場になったそうでこれも迫力がある。むろん私はパス。続いて適当に登って行けば「星のブランコ]なる大吊橋。でも私はかすれた案内板を読み間違えて吊り橋のところを繰り返してしまった。
あとで気がついたのだが、磐船神社を出て100mのところにあるコーヒー・ログハウス「古時計のおじいさん」の手前で左手の山に入れば自動車の危険を避ける事が出来たのだ。ここからJR片町線星田駅を目指すと近道だが、少しウロウロしないとクライミングウォールや吊り橋を見ることが出来なくなる。
いずれにせよ、標高200mちょっとを越えて、団地の間を抜ける星田妙見川にそって2.5kmほど下れば片町線星田の駅に出る。
全行程無駄なく歩けば8km程だろうか。この辺りで京阪本線まで歩くとすればかなり遠くなる。特に知識と地図やナビ無しで歩けばまごつくこと必定。でも茄子作(なすづくり)という集落に迷い込めばもうけもの。古い民家が沢山残されている。岸本信夫さんのいいスケッチがある。星田駅から京阪本線で一番近い香里園駅まで直線で4kmあまりだから、ヘタするとその倍かかる。私は冬の15:30に生駒を出発したりするから、星田妙見の平地に出た時点ですでに真っ暗だ。
ところで星田などというロマンティックな地名は何だ。一つは弘法大師の徳に絡む話で、獅子窟寺で修行中、旧星田村の星の森、降星山光林寺、妙見山小松神社の三箇所に北斗七星が分かれて降ったというものである。北斗七星はまだ空に残っているのではなかったのかな。訪れていないがそれぞれ石が祭られているようだ。この星の名前は気に入られて当地でいろいろ用いられている。天野川は天の川で七夕伝説も絡められている。「ほしだ」のロマンティックでない解釈は、干し田、乾し田である。この辺から先は天野川が生駒山系から花崗岩を削りとってできた砂が堆積して天井川をなしているという。水がたまりにくいのだろう。この川砂は白くて美しく天の川の星のようである。
★ 上で生駒北部で遭遇した猛烈な悪臭についてのべた。正体とその後を見届けたので報告しておく。
当時の悪臭の発生源は阪神畜産の養豚業であった。その凄さはかなり離れた大阪の団地の住民からもネットでさかんに訴えられていた。しかしフェイスブックの友人TNさんから「経営者が変わってそういうことにとても気をつけておられる」という情報を得た。そこで本日確かめに出た。
自宅より清滝峠を超えて逢坂まで行き、問題の谷に踏み込んだ。その建物から風が吹いてもまったく臭わない。しかし僕の鼻は老化と鼻炎で嗅覚が非常に落ちているから住民にたしかめる必要がある。幸い畜産の建物の横の畑で作業している人がいた。すると畜産は2,3年前に移転したと言う。住民と話し合いがあったらしい。
そういえばネットの苦情も新しいものがない。ここの問題は解決したのである。岡山の方に移られたようだ。そこでうまくいっておればよいが。(2020.01.11加筆)
★ 更に加筆する。阪神畜産は経営者が代わり社名も2018年から「ファロスファーム」となったようである。会社のホームページは http://pharosfarm.jp/company/ である。上の加筆で「岡山」としたが岡山県ではなくて近くの四條畷の「岡山」であった。そこが本社となった。ホームページでは、「生命の尊さを認識し、地域の活性化に寄与し、エコでクリーンな食肉生産を通じて養豚業界の灯台になる。」と目標は高く、TNさんの言われるように、とても好感の持てるものとなっている。地域との交流も歌われており、僕が広島や鳥取の現場に行くことはできないが、上で述べた問題にも配慮されているのであろう。社員のブログ https://ameblo.jp/pharosfarm/ も有り社内も良い雰囲気なのであろう。批判を述べたがその後を見て報告しておく責任を感じた。(2020.10.24加筆)
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