<リュミニーの研究会>
マルセイユ近郊の Luminy の研究集会に出かけて戻ってきた。フランスで流行っている風邪をもらい、今ぶらぶらしている。
私の発表は無茶つたないが、うまい人達の発表は「ちょっとかなわん」という気がするほど達者なので解毒剤になるのだろう、一部の人は「お前の発表はとても良かった」と慰めてくれる。
今回困ったのは、おそらく白内障の進行のためだろうが、黒板が読めず、パネルを読むのも困難だったことだ。しばらく会合に出てなかったので愕然とした。その上難聴気味で英語が聞き取れず、一番前に座っていてもほとんど理解できなかった。(以前は前の方に座ったことがなかったが、招待された身で少しでも理解しなければと思って前に座った。)おそらく高音の聞き取りが悪くなって、高音部を多用する英語は特に判別しにくいのだろう。むろん長期留学をしたことがない語学力不足が大きいのだが。私は75歳の誕生日直後で、名前を研究会のテーマに織り込まれた Mickael Artin さん(80歳)につぐ高齢者だから、しかたのないことだ。白内障の手術は受けようと思った。。
でも、これまでの数学稼業で経験した研究会のうちでは、自分に最も近い分野を主題 (Artin approximation and infinite dimensional geometry) とするものであったので、最近の流れの見当はついた。
私が不勉強故にあちこちの分野で弾き返され、仕方なしに自分で切り開いた道にも少し陽が差してきたという気がする。実際、主催者の一人 Guillaume Rond さんは、ほとんどの論文で私が端緒を開いた仕事を応用し、発展させているのである。彼が博士号を得た時、可換環の研究集会に呼び、近畿大学では私の持つ多くの問題を彼に示した。その後彼は幾つかを解決している。そして今回は質問を通して、私にとてもいい宿題を与えてくれた。彼の歳は私の半分も行かないであろう。
もう一人の主催者、Herwig Hauser さんには、私の最近の初等的な数学での成果(このブログの「研究近況」参照)の話をすると、とても面白がって宣伝していただいた。メイルだけでやりとりしていた数年前の共著者 Michel Hickel さんとも始めて顔を合わすことも出来た。
論文を引用し合うような意味での私の専門の友達は、ほとんど外国人でしかも広中平祐さんの影響を受けた人が多い。(「廣中」と書くのはどうなのですかとご本人に聞くと、異字体の関係でややこしいので「広中」としておられるそうだ。)そのうちの幾人かがこの研究集会に参加していた。日本人で広中さんに学位を受けたのは、私が調べた範囲で3人だが、その内の2人はそれぞれ不慮の事故ですでに他界している。
広中さんに学位を受けた1人、Mark Spivakovsky さんにはワインをおごってもらった。この研究会は山中で開かれているので飲む機会が少なく、これは息抜きになった。むろん酒だけの人ではない。アイデアマンであり幾つもの重要な仕事しておられる。私の結果を早くから取り上げてくれた一人である。上記 Rond さんの師匠でもある。
広中さんのフランス人の弟子 Monique Lejeune-Jalabert さんの顔もようやく覚えた。この人とやはり今回出席の Bernard Teissier さんの共著は、広中さんご自身の定理とともに、私の研究を可能とした鍵であった。
この人達に、今回の参加はなかったが、カナダのフィールズ研の Pierre Milman さん、Edward Bierstone さんを加えて、広中スクールの人たちは目標であり、友達でもある。
専門家の方に付け加えると、今回の主な研究対象は「冪級数係数の幾何学」ということができる。通常の体に係数を持つ方程式の解空間を扱う代数幾何学を有限次元とすれば、函数芽を係数とする方程式を扱うのだから、これは無限次元の幾何学ということになる。
思えば最初に行く気になってから実に多くのことが起こったのである。
1.切符購入の直前にマレーシア航空機が東ウクライナ上空で撃墜される事件があった。
2.安くてサービスいいと聞くトルコ航空を選び、最後のチャンスだから、帰途に憧れのイスタンブールで1泊して見物しようと思っていた。渡航直前に ISIL による日本人2名の人質事件発生。家族がイスタンブールは近いと心配した。
3.私が39.7度の高熱を出してダウン。9万円の損をして全てキャンセル。家族、安心。
4.順調なら現地にいたはずの2月1日に後藤氏の首切り公開。
5.研究会は断続的に2ヶ月以上続いており、再度の強い勧誘で3月末に参加することを決心。少し高いが手堅そうなルフトハンザ機を予約。
6.渡航の21日にルフトハンザのストライキでエールフランスに振替。
7.現地3月24日インターネットでルフトハンザ系列のジャーマンウイングス機墜落、150人の死亡推定を知る。マルセイユは日本政府の現地対策本部が置かれるほどの距離。
いつも海外に出ると街を歩くのだが、今回は最小限。到着が暗くなってからなので、研究所のまわりをうろつくとされるイノシシに敬意を表してマルセイユ市中に1泊。翌日の日中が空いたので、前回、秋のミストラルで船が欠航し行けなかったイフ島・フリウル島と、地中海考古学博物館を訪ねた。前者はデュマの「モンテ・クリスト伯」(日本では黒岩涙香が「岩窟王」として翻案)の舞台とされている。古い城が残っている。これは「マルセイユの海」に写真を載せた。後者はエジプトの考古的コレクションで有名、前回デジカメのバッテリー切れで涙をのんだので、今回はリヴェンジであった。これはまた「地中海考古学博物館」で紹介した。前回港の脇で飲んだ/食べたブイヤベースは再挑戦できず、若干気が残る。まとまった自由時間は近郊の岩山歩き。これは「マルセイユ近郊の山」に書いている。
良いテーマも見つかったし、老骨に鞭打って出かけた価値は十分あったと思う。でも大出張は最後となるだろう。
写真は Hauser さんなどによるマルセイユ旧港における数学展示。特異点のグラフィック。
マルセイユ近郊の Luminy の研究集会に出かけて戻ってきた。フランスで流行っている風邪をもらい、今ぶらぶらしている。
私の発表は無茶つたないが、うまい人達の発表は「ちょっとかなわん」という気がするほど達者なので解毒剤になるのだろう、一部の人は「お前の発表はとても良かった」と慰めてくれる。
今回困ったのは、おそらく白内障の進行のためだろうが、黒板が読めず、パネルを読むのも困難だったことだ。しばらく会合に出てなかったので愕然とした。その上難聴気味で英語が聞き取れず、一番前に座っていてもほとんど理解できなかった。(以前は前の方に座ったことがなかったが、招待された身で少しでも理解しなければと思って前に座った。)おそらく高音の聞き取りが悪くなって、高音部を多用する英語は特に判別しにくいのだろう。むろん長期留学をしたことがない語学力不足が大きいのだが。私は75歳の誕生日直後で、名前を研究会のテーマに織り込まれた Mickael Artin さん(80歳)につぐ高齢者だから、しかたのないことだ。白内障の手術は受けようと思った。。
でも、これまでの数学稼業で経験した研究会のうちでは、自分に最も近い分野を主題 (Artin approximation and infinite dimensional geometry) とするものであったので、最近の流れの見当はついた。
私が不勉強故にあちこちの分野で弾き返され、仕方なしに自分で切り開いた道にも少し陽が差してきたという気がする。実際、主催者の一人 Guillaume Rond さんは、ほとんどの論文で私が端緒を開いた仕事を応用し、発展させているのである。彼が博士号を得た時、可換環の研究集会に呼び、近畿大学では私の持つ多くの問題を彼に示した。その後彼は幾つかを解決している。そして今回は質問を通して、私にとてもいい宿題を与えてくれた。彼の歳は私の半分も行かないであろう。
もう一人の主催者、Herwig Hauser さんには、私の最近の初等的な数学での成果(このブログの「研究近況」参照)の話をすると、とても面白がって宣伝していただいた。メイルだけでやりとりしていた数年前の共著者 Michel Hickel さんとも始めて顔を合わすことも出来た。
論文を引用し合うような意味での私の専門の友達は、ほとんど外国人でしかも広中平祐さんの影響を受けた人が多い。(「廣中」と書くのはどうなのですかとご本人に聞くと、異字体の関係でややこしいので「広中」としておられるそうだ。)そのうちの幾人かがこの研究集会に参加していた。日本人で広中さんに学位を受けたのは、私が調べた範囲で3人だが、その内の2人はそれぞれ不慮の事故ですでに他界している。
広中さんに学位を受けた1人、Mark Spivakovsky さんにはワインをおごってもらった。この研究会は山中で開かれているので飲む機会が少なく、これは息抜きになった。むろん酒だけの人ではない。アイデアマンであり幾つもの重要な仕事しておられる。私の結果を早くから取り上げてくれた一人である。上記 Rond さんの師匠でもある。
広中さんのフランス人の弟子 Monique Lejeune-Jalabert さんの顔もようやく覚えた。この人とやはり今回出席の Bernard Teissier さんの共著は、広中さんご自身の定理とともに、私の研究を可能とした鍵であった。
この人達に、今回の参加はなかったが、カナダのフィールズ研の Pierre Milman さん、Edward Bierstone さんを加えて、広中スクールの人たちは目標であり、友達でもある。
専門家の方に付け加えると、今回の主な研究対象は「冪級数係数の幾何学」ということができる。通常の体に係数を持つ方程式の解空間を扱う代数幾何学を有限次元とすれば、函数芽を係数とする方程式を扱うのだから、これは無限次元の幾何学ということになる。
思えば最初に行く気になってから実に多くのことが起こったのである。
1.切符購入の直前にマレーシア航空機が東ウクライナ上空で撃墜される事件があった。
2.安くてサービスいいと聞くトルコ航空を選び、最後のチャンスだから、帰途に憧れのイスタンブールで1泊して見物しようと思っていた。渡航直前に ISIL による日本人2名の人質事件発生。家族がイスタンブールは近いと心配した。
3.私が39.7度の高熱を出してダウン。9万円の損をして全てキャンセル。家族、安心。
4.順調なら現地にいたはずの2月1日に後藤氏の首切り公開。
5.研究会は断続的に2ヶ月以上続いており、再度の強い勧誘で3月末に参加することを決心。少し高いが手堅そうなルフトハンザ機を予約。
6.渡航の21日にルフトハンザのストライキでエールフランスに振替。
7.現地3月24日インターネットでルフトハンザ系列のジャーマンウイングス機墜落、150人の死亡推定を知る。マルセイユは日本政府の現地対策本部が置かれるほどの距離。
いつも海外に出ると街を歩くのだが、今回は最小限。到着が暗くなってからなので、研究所のまわりをうろつくとされるイノシシに敬意を表してマルセイユ市中に1泊。翌日の日中が空いたので、前回、秋のミストラルで船が欠航し行けなかったイフ島・フリウル島と、地中海考古学博物館を訪ねた。前者はデュマの「モンテ・クリスト伯」(日本では黒岩涙香が「岩窟王」として翻案)の舞台とされている。古い城が残っている。これは「マルセイユの海」に写真を載せた。後者はエジプトの考古的コレクションで有名、前回デジカメのバッテリー切れで涙をのんだので、今回はリヴェンジであった。これはまた「地中海考古学博物館」で紹介した。前回港の脇で飲んだ/食べたブイヤベースは再挑戦できず、若干気が残る。まとまった自由時間は近郊の岩山歩き。これは「マルセイユ近郊の山」に書いている。
良いテーマも見つかったし、老骨に鞭打って出かけた価値は十分あったと思う。でも大出張は最後となるだろう。
写真は Hauser さんなどによるマルセイユ旧港における数学展示。特異点のグラフィック。