土塊も襤褸も空へ昇り行く:北村虻曳

随想・定型短詩(短歌・俳句・川柳)・写真
2013/11/11開設

中島和秀 句集「夢夢 boubou」について

2017-07-07 | その他
<中島和秀 句集「夢夢 boubou」について>  写真:唐招提寺の蓮

99句からなる句集で、それ以前の4つの句集より選んだものという。もう一つの俳号、中島夜汽車の名は、以前から耳にしていた。一度聞くと忘れられない俳号だ。今回「京大俳句会第百回記念句会」に参加して、彼の「言葉の呪性に興味を持つ」という意味の言葉を聞いた。私も言っていた言葉だ。興味を惹かれ堀本吟所持のものを読んだ。はたして私の思考リズムに合う句集であった。

題にあるローマ字bouは夢のもう一つの音読みである。この題といい、「アトリエ空中戦」による型破りの装幀といい、とても好感が持てる。(旧字体を用いる活字の苦心が見られるが、下の引用ではそれを踏襲できなかった。)気に入った9句を俳句の文法によらず紹介しよう。見苦しいカッコ内の等号=はルビである。

☆ 澤蟹の奔るは愛の機械かな (奔=はし)
言うまでもなく蟹の外骨格の硬さが生物を機械化する。蟹が、人界や動物界の愛という生命の力学にとどまらず、宇宙の力学に従う機械となる。実直にまっすぐ奔る。身体は横向きなのであるが。

☆ 香水の夏少年は揮発性 (香水=アルフィン)
アルフィンは、ネットに依ると、男にも女にも用いることのできる名前。ゲームなどのキャラクターがあるようだ。が、そういうところにとらわれる必要はない。元気な青少年のもつ刺激的な体臭だろう。中島の好むオートバイ生活が纏うガソリン臭に通ずるのか。匂いを忌み嫌う今の世に対するアンチテーゼと見た。少年は繰り返し登場する。それは無邪気にしておさまることを知らぬ自画像でもあるだろう。

☆ 夢のあと消す黒板にクォーク生れ
浅いクレーターの並ぶ古い黒板だろうか、それとも緑が均質な現代の黒板か。夢はそこに書かれていた数式か。それを消せば、見えないクォークが飛び立ち、チョークのクズが板面に沿ってゆっくり滑落する。
あるいは黒板からクォークのアイデが生まれるのかもしれない。実際、古い数学の徒としての私の経験で言えば、黒板は白板やパワーポイントよりも理論を練って作り出すのに役立つ。

☆ 冬の水脳内流れ星降れり
頭の中に人気のない冬の野の景色がある。動くものは川と流星。こういう句は、認識論に習って、脳の中に世界があると逆転させることもできる。
「流れ星」と句またがりにするより「脳内流れ」と「星降れり」の対とする方がいいだろう。

☆ 彼方より赤方偏移の冬来たる
赤方偏移とは、遠ざかる物体の出す光の波長が伸びること(ドップラー効果)をいう。可視光線の範囲で言えば赤い方に近づく事になる。しかしその術語の雰囲気をいただけば、理学に忠実である必要はない。夜の中に赤みを帯びた巨大な冬の接近を感じ取るのだ。

☆ 森林に棲む魚の背の卍かな
この卍こそ呪そのものである。呪とは何かをもたらそうとする呪文ではない。物事の有り様を、直截に掴ませてくれる言葉やオブジェとでも言おうか。

☆ 人魚のこゑ聴く朝や初しぐれ
「聴く」のであるから注意してはじめて聞こえるのである。人魚には厳しいであろう時雨の季節の到来である。夜ではなくて「朝」である。夜の間、自分本来の場所にどうしても戻れなかったことを意味するのだろうか。哀切である。
「蹇の少女振り向く秋の暮」、「吃音の少女の眉の凍河かな」(蹇=あしなえ、眉=まみ)を並べると女性の一つの理想の姿が浮かんでくる。

☆ 星の尼港に匂う水仙花
シベリア出兵終息期アムール川河口にあるニコラエフスクに駐留していた日本軍に対して、赤軍パルチザンが襲いかかり、日本軍人や在留邦人、資産家階級のロシア人多数を虐殺した。日本の抗議で旧ソ連政府は事件後、責任者を処刑。賠償を求めた日本は北樺太を保障占領した。(ネットにいろいろな解説があるが、私はこれが読みやすい。)尼港とはそのニコラエフスク港である。事件は3月に起こった。惨劇の凄まじい描写は呑み込んで、清楚な水仙が咲き匂っているとする。

☆ 凍蝶さすらひて銀の夜汽車 (銀=しろがね)
枯れ草の茎につかまる凍蝶の夢は、野をさすらい行き、銀の霜をまとう夜空に浮かぶ機関車に遭遇する。あるいは蝶自身が機関車となっている。

彼の最新句集である中島夜汽車句集「銀幕」にある略歴が面白い。寺山修司作、演出の『A列車で行こう』の大阪公演の主役を演じたことを始めに、いろいろなジャンルの勉強、仕事を行っている。その風変わりなこと想像を絶する。石川力夫の名で、小説、短歌をものし、永田耕衣の琴座の同人にもなった。石川力夫の名をWikipediaで引くと、これまた強烈なヤクザが出て来る。(このWikipediaは御一読を薦める。)その名を継ぐとは大胆不敵。京大理学部附属植物園の園丁を努めた。(そこは、若いときから私の気に入りの場所である。)そして今、京大俳句会の主導者の一人である。
句は幽明界を自由に遊ぶこと、永田耕衣、安井浩司を想起させる。宇宙的であることにおいては、俳人ではないが稲垣足穂をも想起する。


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