<五右衛門風呂>
暑い夏の終わり、愛媛県内子町の「木蝋資料館・上芳我邸」を訪ねた。板の金隠しのついた厠や五右衛門風呂があった(写真参照)。五右衛門風呂とは大きな鉄の釜を据えて下から直接焚く風呂である。釜は煉瓦の炉に埋め込まれ、焚き口は浴室の外にある。煉瓦と釜の間に空洞があって、熱い炎と煙が巡る仕掛けである。その煉瓦には炉に通じる空洞があり、それに蓋をしているくぼみ付きの煉瓦を手で引き出して外し、煤を掻き出して掃除ができるようになっていた。そうした煤出し口にはなじみがあった(写真には6個見えている)。
櫨(はぜ)から採る木蝋で財をなした上芳我家の風呂には、まったくおよぶべくもないが、私の家にもやや金回りのよい時代があって、構造の似た風呂があった。すでに米にも事欠く家となっていたが、その釜口にしゃがんで風呂を沸かすのが、中学の頃の自分の手伝い仕事であった。
まず面倒なのが水張り、ポンプで汲んで大きなバケツで運んでいた。川の水を用いていた時期もある。次に山で掻き集めた松葉や柴で火をおこし薪に移す。火が弱れば、燃え残りを押し込み、新しい薪を入れ、組み替え、火吹竹で火勢を煽るのである。火吹竹は、竹の一端を残して節を取り去り、残した節の中央に穴を開けたものである。それで火を吹くと火勢が強まるのだが、下手な場所を吹くと弱める。まあ桃太郎の話の冒頭のおじいさんとおばあさんとあまり変わらない生活をしていたのだ。
山の柴は次第に掻かなくなり、大体薪の代わりに、製材所の切りくず「木端(こわ)」を安くで分けてもらって焚いていた。本物の薪を使うと手前の切り口から泡が噴きだしてくる。独特の匂いのする木酢液(もくさくえき)である。嫌いではなかった。
さて入浴である。鉄の釜は湯が張ってあっても熱い。そこでゲス板という丸い木の板を用いる。一番風呂の人はそれに乗って両足で沈め、その切り込みを釜の突起と合わせて押し込む。それから回転させて浮き上がらないようにひねる。失敗すると板は浮き上がり、足はあっちっちだ。冬などは浸かっているうちに、冷めてくるので、できれば風呂の外の人に追い炊きを頼みたい。風呂から大きな声を出すのはいやだから、尋ねに来てもらいたい、「兄ちゃん、加減どう?」 入る前に「だいぶ熱い、水をバケツ一杯頼むわ」と言うことも。
家族全員が入った後は、炉に残る熾(お)きを掻き集めて「消し炭」を作る。掻き出す道具も木をT字に打ち付けたいいかげんなもので、焦げて丸みをおびている(写真のものは鉄製)。穴が焦げて広がる火吹き竹と共に手作り消耗品であった。熾きを窒息させるとき用いるのが火消し壺である。あの真っ黒な壺も今あれば丹波焼きで値打ちがあるのかもしれない。できた消し炭は火がつきやすく「経(た)ちやすい」ので、コンロの堅炭に火を移すのに用いた。
風呂焚の焚き口前にしゃがんで、釜の底を撫でる炎、焼けて反り返る板、噴きだす細くて強い炎、爆ぜる枝、それらをじっと見ていた。当時、あれが自分の一番の落ち着きの場であったのだろう。
(2013年10月13日 FaceBookより)
暑い夏の終わり、愛媛県内子町の「木蝋資料館・上芳我邸」を訪ねた。板の金隠しのついた厠や五右衛門風呂があった(写真参照)。五右衛門風呂とは大きな鉄の釜を据えて下から直接焚く風呂である。釜は煉瓦の炉に埋め込まれ、焚き口は浴室の外にある。煉瓦と釜の間に空洞があって、熱い炎と煙が巡る仕掛けである。その煉瓦には炉に通じる空洞があり、それに蓋をしているくぼみ付きの煉瓦を手で引き出して外し、煤を掻き出して掃除ができるようになっていた。そうした煤出し口にはなじみがあった(写真には6個見えている)。
櫨(はぜ)から採る木蝋で財をなした上芳我家の風呂には、まったくおよぶべくもないが、私の家にもやや金回りのよい時代があって、構造の似た風呂があった。すでに米にも事欠く家となっていたが、その釜口にしゃがんで風呂を沸かすのが、中学の頃の自分の手伝い仕事であった。
まず面倒なのが水張り、ポンプで汲んで大きなバケツで運んでいた。川の水を用いていた時期もある。次に山で掻き集めた松葉や柴で火をおこし薪に移す。火が弱れば、燃え残りを押し込み、新しい薪を入れ、組み替え、火吹竹で火勢を煽るのである。火吹竹は、竹の一端を残して節を取り去り、残した節の中央に穴を開けたものである。それで火を吹くと火勢が強まるのだが、下手な場所を吹くと弱める。まあ桃太郎の話の冒頭のおじいさんとおばあさんとあまり変わらない生活をしていたのだ。
山の柴は次第に掻かなくなり、大体薪の代わりに、製材所の切りくず「木端(こわ)」を安くで分けてもらって焚いていた。本物の薪を使うと手前の切り口から泡が噴きだしてくる。独特の匂いのする木酢液(もくさくえき)である。嫌いではなかった。
さて入浴である。鉄の釜は湯が張ってあっても熱い。そこでゲス板という丸い木の板を用いる。一番風呂の人はそれに乗って両足で沈め、その切り込みを釜の突起と合わせて押し込む。それから回転させて浮き上がらないようにひねる。失敗すると板は浮き上がり、足はあっちっちだ。冬などは浸かっているうちに、冷めてくるので、できれば風呂の外の人に追い炊きを頼みたい。風呂から大きな声を出すのはいやだから、尋ねに来てもらいたい、「兄ちゃん、加減どう?」 入る前に「だいぶ熱い、水をバケツ一杯頼むわ」と言うことも。
家族全員が入った後は、炉に残る熾(お)きを掻き集めて「消し炭」を作る。掻き出す道具も木をT字に打ち付けたいいかげんなもので、焦げて丸みをおびている(写真のものは鉄製)。穴が焦げて広がる火吹き竹と共に手作り消耗品であった。熾きを窒息させるとき用いるのが火消し壺である。あの真っ黒な壺も今あれば丹波焼きで値打ちがあるのかもしれない。できた消し炭は火がつきやすく「経(た)ちやすい」ので、コンロの堅炭に火を移すのに用いた。
風呂焚の焚き口前にしゃがんで、釜の底を撫でる炎、焼けて反り返る板、噴きだす細くて強い炎、爆ぜる枝、それらをじっと見ていた。当時、あれが自分の一番の落ち着きの場であったのだろう。
(2013年10月13日 FaceBookより)
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