<辛い、辛い、長沙> (写真は長江・武漢付近)
中国には2回行った。一度は長春、2度目は2006年9月の長沙ー武漢ー長春である。なお長沙はチャンシャーと呼ぶようである。
長沙に行く前、現地の気温は連日40度を超えていて、「耐えられるかいな」と少し不安を覚えた。だが飛行機を降りたとき、空気は予想外に涼しかった。市街へ出る夕暮れのバスから見る路面は、綺麗に乾いているが、ひびが黒くくっきりと見え、直前に強い降雨があったことをうかがわせた。タイミングよく夏が終わったのである。このような劇的な季節の変化はポーランドでも経験したことがある。移動中の列車で猛烈な雷雨に見まわれ、きっちり閉めた窓の下から雨水がブーブーと音を立てて噴き出していた。そして夏から一気に秋に突入した。海外出張は外国の学年切り替えの時期、9月が多いのである。夏への切り替わりもカナダで経験したがやはり急速であった。大陸では気候の変化が急なのだろう。最近の日本の気候も大陸化している気がするが。
翌日、街の探索に出かけた。誰かがおばさんに緑色をした蓮の実をもらった。生で食えるかわからなかったが、馬鹿揃いなのでみんなで齧って、大変美味しくないことを確認した。ペッペッぺッ。加工して月餅などに入っているものはまともな味なのだが。
次にまた誰かが緑の硬い実をもらった。檳榔樹(ビンロウジュ)だとかで、よくわからんが精神に影響する少々やばいものだという認識はあった。カシコ揃いなのでまた全員齧ってみた。いっそうまずい。それに精神に効いてこないではないか。「何も変わらんなあ」などと歩いているうちに、「俺、効いてきた」、「僕も」、「俺も」、「頭がスッキリ冴えてきた」となった。覚醒剤は知らないが、なにか気持よく冴えてくるのである。念のため帰国して調べると、胃を傷めるとか、長期的には口腔、咽頭の癌を引き起こすとか、冴えないことが書いてあった。胃を傷めないためには、何かの葉で包み、石灰と一緒に口にするのだそうである。そしてつばを吐くと道路に赤い汚れができるので、行儀の悪い嗜好品として嫌われているそうだ。むろん好きな人がたくさんいるのだろう。
次は一杯であるが、路地で瓶や鍋を広げている業者いた。またお揃いで、缶ビールと鍋に赤黒く炒りつけているものを頼んだ。説明では川蛯を唐辛子で味付けしたもののようだ。口にすると唐辛子でとてもとても辛かった。そんなものばかりでかなわないので切り上げてまた歩き始めたのであるが、感受性の高い僕がまず腹がおかしくなった。続いて何人かが同様のことを訴え、一同ホテルに引き上げた。檳榔樹か唐辛子かビールか、どれが効いたのかは定かで無い。まあトイレに行くぐらいで済んだ。
夜のホテルの食堂では「珍味」が待っていた。川魚は普通として、蛙、亀、犬など。そのほとんどが、唐辛子の粉が塗りつけられていたり、真っ赤なスープからすくいだしたりするような代物なのである。味は犬が一番良かった。蛙はたしか骨付きでその骨が予想外に固かった。1日目はただワイワイと言って食べていた。
ガイド付きだったので、二日目の夜には誰かが「唐辛子の入らない料理はないのですか」と聞いた。ガイドが料理人のところへ行ったので期待して待っていると、返ってきた料理人の答えは「辛くない料理は作り方を知らないので」とのこと。
次第にみんなの腹の調子が悪くなり、敏感な人は食事で特に辛いモノを口に入れると「あっ、腸が動き出した」と言って部屋を飛び出した。この人、むかし大酒を飲んでまずいことになり、翌日の学会のありがたい賞はパンツを穿かずに舞台で受け取ったそうだ。まずいことになるだけなら僕もやるが、穿かずに賞をいただくなんておそらく前代未聞、豪胆な学者だ。それでも懲りない好奇心旺盛な面々であったから、「腹がどうなっても、やはり辛いのが美味い」などと強がり、ビールを飲みながらなんでも食らっていた。ちなみに、この人達の種族がトポロジストである。僕以外は。
この後の行程のどこかの公園(おそらく岳陽)をめぐる電動車では、奇食の猛者S君さえ「あった」と叫んで車を飛び降りる始末。公衆便所を発見したのである。そういえば、テレビのウッチャン・ナンチャンのウッチャンが、公園を走り、バンザイをして「あったあ」と悲壮に叫び、走りこむ先がトイレ、と言う芝居をやってた。まったくわかる切実さである。
長沙の料理は、辛さで知られている四川料理を凌ぐそうである。「日本に帰っても3日ほど調子が悪かった」と電話すると、「こっちは1週間だよ」という友達もいた。近年、腸を20cm切り詰められた僕はますます感受性が強くなり、耐久力が減った。もう長沙は全然遠慮したい。
補遺
どうも品のないことを書いたが、長沙のためにすこし弁じておく必要がある。
長沙にはいくつか大学があって僕が喋らしてもらった大学は申し訳ないが記録なし。ここで驚いたのは遠足で川を渡って行った文化施設。今調べると「岳麓書院」らしく中国古代の有名な四大書院の一つである。書院とはウィキによれば「前近代の学校、私塾の一類型」という。学ばれた学問はわからないが、とても優雅な建築に驚いた。これは武漢大学行ったときも、会議室などの調度の立派さに驚いた。こういうものと日本の大学を比べると日本は小国なのだなあと感じてしまう。(2020.02.24)
この旅の続きが「湖南の家」です。
中国には2回行った。一度は長春、2度目は2006年9月の長沙ー武漢ー長春である。なお長沙はチャンシャーと呼ぶようである。
長沙に行く前、現地の気温は連日40度を超えていて、「耐えられるかいな」と少し不安を覚えた。だが飛行機を降りたとき、空気は予想外に涼しかった。市街へ出る夕暮れのバスから見る路面は、綺麗に乾いているが、ひびが黒くくっきりと見え、直前に強い降雨があったことをうかがわせた。タイミングよく夏が終わったのである。このような劇的な季節の変化はポーランドでも経験したことがある。移動中の列車で猛烈な雷雨に見まわれ、きっちり閉めた窓の下から雨水がブーブーと音を立てて噴き出していた。そして夏から一気に秋に突入した。海外出張は外国の学年切り替えの時期、9月が多いのである。夏への切り替わりもカナダで経験したがやはり急速であった。大陸では気候の変化が急なのだろう。最近の日本の気候も大陸化している気がするが。
翌日、街の探索に出かけた。誰かがおばさんに緑色をした蓮の実をもらった。生で食えるかわからなかったが、馬鹿揃いなのでみんなで齧って、大変美味しくないことを確認した。ペッペッぺッ。加工して月餅などに入っているものはまともな味なのだが。
次にまた誰かが緑の硬い実をもらった。檳榔樹(ビンロウジュ)だとかで、よくわからんが精神に影響する少々やばいものだという認識はあった。カシコ揃いなのでまた全員齧ってみた。いっそうまずい。それに精神に効いてこないではないか。「何も変わらんなあ」などと歩いているうちに、「俺、効いてきた」、「僕も」、「俺も」、「頭がスッキリ冴えてきた」となった。覚醒剤は知らないが、なにか気持よく冴えてくるのである。念のため帰国して調べると、胃を傷めるとか、長期的には口腔、咽頭の癌を引き起こすとか、冴えないことが書いてあった。胃を傷めないためには、何かの葉で包み、石灰と一緒に口にするのだそうである。そしてつばを吐くと道路に赤い汚れができるので、行儀の悪い嗜好品として嫌われているそうだ。むろん好きな人がたくさんいるのだろう。
次は一杯であるが、路地で瓶や鍋を広げている業者いた。またお揃いで、缶ビールと鍋に赤黒く炒りつけているものを頼んだ。説明では川蛯を唐辛子で味付けしたもののようだ。口にすると唐辛子でとてもとても辛かった。そんなものばかりでかなわないので切り上げてまた歩き始めたのであるが、感受性の高い僕がまず腹がおかしくなった。続いて何人かが同様のことを訴え、一同ホテルに引き上げた。檳榔樹か唐辛子かビールか、どれが効いたのかは定かで無い。まあトイレに行くぐらいで済んだ。
夜のホテルの食堂では「珍味」が待っていた。川魚は普通として、蛙、亀、犬など。そのほとんどが、唐辛子の粉が塗りつけられていたり、真っ赤なスープからすくいだしたりするような代物なのである。味は犬が一番良かった。蛙はたしか骨付きでその骨が予想外に固かった。1日目はただワイワイと言って食べていた。
ガイド付きだったので、二日目の夜には誰かが「唐辛子の入らない料理はないのですか」と聞いた。ガイドが料理人のところへ行ったので期待して待っていると、返ってきた料理人の答えは「辛くない料理は作り方を知らないので」とのこと。
次第にみんなの腹の調子が悪くなり、敏感な人は食事で特に辛いモノを口に入れると「あっ、腸が動き出した」と言って部屋を飛び出した。この人、むかし大酒を飲んでまずいことになり、翌日の学会のありがたい賞はパンツを穿かずに舞台で受け取ったそうだ。まずいことになるだけなら僕もやるが、穿かずに賞をいただくなんておそらく前代未聞、豪胆な学者だ。それでも懲りない好奇心旺盛な面々であったから、「腹がどうなっても、やはり辛いのが美味い」などと強がり、ビールを飲みながらなんでも食らっていた。ちなみに、この人達の種族がトポロジストである。僕以外は。
この後の行程のどこかの公園(おそらく岳陽)をめぐる電動車では、奇食の猛者S君さえ「あった」と叫んで車を飛び降りる始末。公衆便所を発見したのである。そういえば、テレビのウッチャン・ナンチャンのウッチャンが、公園を走り、バンザイをして「あったあ」と悲壮に叫び、走りこむ先がトイレ、と言う芝居をやってた。まったくわかる切実さである。
長沙の料理は、辛さで知られている四川料理を凌ぐそうである。「日本に帰っても3日ほど調子が悪かった」と電話すると、「こっちは1週間だよ」という友達もいた。近年、腸を20cm切り詰められた僕はますます感受性が強くなり、耐久力が減った。もう長沙は全然遠慮したい。
補遺
どうも品のないことを書いたが、長沙のためにすこし弁じておく必要がある。
長沙にはいくつか大学があって僕が喋らしてもらった大学は申し訳ないが記録なし。ここで驚いたのは遠足で川を渡って行った文化施設。今調べると「岳麓書院」らしく中国古代の有名な四大書院の一つである。書院とはウィキによれば「前近代の学校、私塾の一類型」という。学ばれた学問はわからないが、とても優雅な建築に驚いた。これは武漢大学行ったときも、会議室などの調度の立派さに驚いた。こういうものと日本の大学を比べると日本は小国なのだなあと感じてしまう。(2020.02.24)
この旅の続きが「湖南の家」です。