<中国の喧嘩>
本当に遠い昔、ソヴィエト健在の頃だろう。数学者のKさんがウラジオストックで見たロシア人の喧嘩の話をしてくれた。Kさんは高いところから道路を見ていたらしいが、二人の男が真っすぐ立ったまま殴りあうのである。向い合って一人がボカンとやると、次はそれを受けた男がおもむろにボカンとやり返し、交代でこれを繰り返していたという。聞いていて私は熊のような印象を受けた。
そこで2006年、中国の喧嘩の話である。長沙から武漢へ陸路移動の途中であった。寄り道の洞庭湖の見物を終え、岳陽の駅であろうか、武漢行きの列車に乗ろうとして、我々数人の一行はとても大きな待合室に入った。すると怒声が聞こえる。見ると、少し離れたところに人垣ができており、その真中で二人の男が対峙していた。一人は大きな体格の中国人らしい男。もう一人はスリムで精悍な男。しばらく怒鳴り合いが続き、何十人もの野次馬が遠巻きで見物していた。私達は大きなスーツケースを引きずっているので、その人垣から離れて見ていた。
やがて大柄な方が足でけった。スリムな方の男がその足を取り押したため相手は片足で飛びながら後退した。人垣は破れ、二人は倒れもせず、ぽかんとしている私のところまで、トントントンとやってきて、私のスーツケーにあたった。私は荷物ごとふっとばされてひっくり返った。起き上がり見回したが、スーツケースの破損も、怪我もなかった。いきなり自分が衆目の集まる身になって、喧嘩の二人がその後どうなったか何の記憶も残っていない。
ぶつかってくるものをかわすのは得意なはずだが、「海外ではスーツケースをしっかり持っていなくてはならない」というところに集中していたのだろう。それにしても、そんな距離を奇妙な二人三脚で倒れもせず私のところまで到達した、とても不思議である。まあ面白いことはだいたい私の身の上に生じる、というのが元同僚の意見である。でも後年、漢族とウイグル族の衝突のニュースを見るとき、何となくこの光景を思い出す。
旅としては「湖南の家」の続きです。
本当に遠い昔、ソヴィエト健在の頃だろう。数学者のKさんがウラジオストックで見たロシア人の喧嘩の話をしてくれた。Kさんは高いところから道路を見ていたらしいが、二人の男が真っすぐ立ったまま殴りあうのである。向い合って一人がボカンとやると、次はそれを受けた男がおもむろにボカンとやり返し、交代でこれを繰り返していたという。聞いていて私は熊のような印象を受けた。
そこで2006年、中国の喧嘩の話である。長沙から武漢へ陸路移動の途中であった。寄り道の洞庭湖の見物を終え、岳陽の駅であろうか、武漢行きの列車に乗ろうとして、我々数人の一行はとても大きな待合室に入った。すると怒声が聞こえる。見ると、少し離れたところに人垣ができており、その真中で二人の男が対峙していた。一人は大きな体格の中国人らしい男。もう一人はスリムで精悍な男。しばらく怒鳴り合いが続き、何十人もの野次馬が遠巻きで見物していた。私達は大きなスーツケースを引きずっているので、その人垣から離れて見ていた。
やがて大柄な方が足でけった。スリムな方の男がその足を取り押したため相手は片足で飛びながら後退した。人垣は破れ、二人は倒れもせず、ぽかんとしている私のところまで、トントントンとやってきて、私のスーツケーにあたった。私は荷物ごとふっとばされてひっくり返った。起き上がり見回したが、スーツケースの破損も、怪我もなかった。いきなり自分が衆目の集まる身になって、喧嘩の二人がその後どうなったか何の記憶も残っていない。
ぶつかってくるものをかわすのは得意なはずだが、「海外ではスーツケースをしっかり持っていなくてはならない」というところに集中していたのだろう。それにしても、そんな距離を奇妙な二人三脚で倒れもせず私のところまで到達した、とても不思議である。まあ面白いことはだいたい私の身の上に生じる、というのが元同僚の意見である。でも後年、漢族とウイグル族の衝突のニュースを見るとき、何となくこの光景を思い出す。
旅としては「湖南の家」の続きです。
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