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〔仕事の余白〕執筆者の集いで挨拶・2015年5月29日(金)
琉球新報本社2階多目的ホール
2014年12月18日の琉球新報の沖縄人列伝からの転載です。
関東沖縄経営者協会会長、関東IT協議会会長、WUB東京会長などを歴任した。
現在も顧問として、会の活動に携わる。包容力あふれる人柄と持ち前のリーダーシップを発揮し、沖縄と本土を結び付けてきた経営者だ。
満州で生まれ,大連で終戦を迎えた。1946年に両親の故郷・鹿児島県奄美群加計呂麻島に引き揚げるが、52年に父親の関係で那覇市へ移住した。
那覇高校卒業後、本籍地が奄美だったので、国費試験が受けられずに琉球大学に進む。しかし〔広い世界で自分を試したい〕と中退し、早稲田大学に入り直した。
東京で一時期、琉球新報の記者として働いた後、行政管理庁に入った。そこで会社を設立するきっかけになったコンピューターと出会う。その後、国家公務員から経営コンサルタント会社に転身。〔これからはITの時代がくる〕と思い、78年に医療関係システム開発を手掛ける日本アドバンストシステムを創設した。
会社は従業員200人を超える企業に成長した。2006年、社長を退任し、2007年には東証一部上場のCIJ(横浜市)の傘下に入り、顧問に就任する。13年に退任し、日本アドバンスを設立し、沖縄進出を目指す県外企業の支援を手掛けている。
青春時代を過ごした沖縄には人一倍思いを寄せ、こだわり続ける。その一つは沖縄出身者の採用だ。〔沖縄は全国に比べて失業率が高い。働く場をつくることが最大の貢献になるのではないか〕と語る。
研修を厚くし、人材育成に力を入れてきた。会社を辞めて、Uターンした元社員らは県内のIT業界で活躍する。
〔若い時に目標を設定し、計画性、継続性、折衝力といったノプハウを身に付けてほしい。それには本土で場数を踏むことも大切だ。そしてとにかく人に会って自分が変わる環境をつくってほしい〕と沖縄の若者にエールを送る。
今年の4月に東京の神田多町に〔終のプライベート・オフイス〕を開設し、月1回セミナーを主催している。これまでの〔創業、経営苦労談〕を伝えるために開設している。
詳しいことは重田さんのプログを見てください。〔重田辰弥〕で検索して下さいね。
新オフイス住所は〒101-0046 千代田区神田多町2-9-6 田中ビル別館6階
℡ 03-5244-4940
下記は、2001年6月11日に重田さんから最初に頂いたメールです。私は当時、高校生を重田さんの会社に職場体験実習で引率する高校教諭でした。いっぱしの高校教諭の私に直接メールを
下さる社長でした。当時、ホームページを作成していて、インターネットに夢中でした。
社長から下記のメールを頂いて、どんなにか!励まされたことか!
㈱日本アドバンストシステム社長の重田です。
いや、HP楽しく読ませていただきました。
実習生からもmailいただきましたよ。
19日おまちしています。
又、重田辰弥さんは〔沖縄就活塾〕を出版しています。
読んでいて、非常にためになりますよ。出版社は、新宿書房です。
追伸
〔終のプライベート・オフイス〕で6月22日(月)午後6時から セミナーを予定しています。
琉球新報本社2階多目的ホール
2014年12月18日の琉球新報の沖縄人列伝からの転載です。
関東沖縄経営者協会会長、関東IT協議会会長、WUB東京会長などを歴任した。
現在も顧問として、会の活動に携わる。包容力あふれる人柄と持ち前のリーダーシップを発揮し、沖縄と本土を結び付けてきた経営者だ。
満州で生まれ,大連で終戦を迎えた。1946年に両親の故郷・鹿児島県奄美群加計呂麻島に引き揚げるが、52年に父親の関係で那覇市へ移住した。
那覇高校卒業後、本籍地が奄美だったので、国費試験が受けられずに琉球大学に進む。しかし〔広い世界で自分を試したい〕と中退し、早稲田大学に入り直した。
東京で一時期、琉球新報の記者として働いた後、行政管理庁に入った。そこで会社を設立するきっかけになったコンピューターと出会う。その後、国家公務員から経営コンサルタント会社に転身。〔これからはITの時代がくる〕と思い、78年に医療関係システム開発を手掛ける日本アドバンストシステムを創設した。
会社は従業員200人を超える企業に成長した。2006年、社長を退任し、2007年には東証一部上場のCIJ(横浜市)の傘下に入り、顧問に就任する。13年に退任し、日本アドバンスを設立し、沖縄進出を目指す県外企業の支援を手掛けている。
青春時代を過ごした沖縄には人一倍思いを寄せ、こだわり続ける。その一つは沖縄出身者の採用だ。〔沖縄は全国に比べて失業率が高い。働く場をつくることが最大の貢献になるのではないか〕と語る。
研修を厚くし、人材育成に力を入れてきた。会社を辞めて、Uターンした元社員らは県内のIT業界で活躍する。
〔若い時に目標を設定し、計画性、継続性、折衝力といったノプハウを身に付けてほしい。それには本土で場数を踏むことも大切だ。そしてとにかく人に会って自分が変わる環境をつくってほしい〕と沖縄の若者にエールを送る。
今年の4月に東京の神田多町に〔終のプライベート・オフイス〕を開設し、月1回セミナーを主催している。これまでの〔創業、経営苦労談〕を伝えるために開設している。
詳しいことは重田さんのプログを見てください。〔重田辰弥〕で検索して下さいね。
新オフイス住所は〒101-0046 千代田区神田多町2-9-6 田中ビル別館6階
℡ 03-5244-4940
下記は、2001年6月11日に重田さんから最初に頂いたメールです。私は当時、高校生を重田さんの会社に職場体験実習で引率する高校教諭でした。いっぱしの高校教諭の私に直接メールを
下さる社長でした。当時、ホームページを作成していて、インターネットに夢中でした。
社長から下記のメールを頂いて、どんなにか!励まされたことか!
㈱日本アドバンストシステム社長の重田です。
いや、HP楽しく読ませていただきました。
実習生からもmailいただきましたよ。
19日おまちしています。
又、重田辰弥さんは〔沖縄就活塾〕を出版しています。
読んでいて、非常にためになりますよ。出版社は、新宿書房です。
追伸
〔終のプライベート・オフイス〕で6月22日(月)午後6時から セミナーを予定しています。
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