腹話術人形けんちゃんの日記

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バンコクのカオサンストリート・2020年02月10日(月)

2020-02-10 04:48:33 | 日記
夏休みには、どこか海外に行くことにしている。去年はタイ国とネパールとインドに行った。

那覇空港の国際線から中華航空に乗って台北経由してタイ国首都バンコクに着いた。

午後6時頃に空港を出てバスに乗って、カオサンストリートに向かう。1時間程でそこに着いた。

そこは世界中からバックパーカーが集まるところである。20メートル

間隔でインターネットカフエーが乱立している。フアミリーマートもある。食堂もたくさんある。

24時間オープンしていて不夜城である。マッサージ店もたくさんある。足裏マッサージも1時間で300円程度である。

タイ式マッサージも1時間で400円程度である。タイの料理も美味しい。

ホテルも2000円(日本円)でクーラーと風呂付きで部屋も広い。
               バンコクのカオサンストリート
カオサンストリートは天国のようなところだと思う。暑さは沖縄と同じ程度である。

 これまでに25カ国に行ったことがあるが、タイ国のバンコクのカオサンストリート

は特に好きなところである。タイ国の人達は沖縄の人のようにフレンドリーである。

物価も非常に安い。できれば今年もバンコクに行きたいと思っている。バンコクで4泊5日を過ごした。

それからネパールのカトマンズに行った。カトマンズで3泊した。

カトマンズから飛行機でヒンズー教の聖地ベナレスに行った。30分の飛行時間だった。

ベナレスのそばをガンジス川が流れている。ヒンズー教徒が沐浴をしている。

私も水泳パンツとメガネを持参していたので沐浴に挑戦しました。

ベナレスの町は迷路のように入り組んでいる。牛もよく見かけた。

ヒンズー教徒は、牛を神の使いと考えているので食べない。
 

足尾銅山観光・2020年02月10日(月)

2020-02-10 01:55:47 | 日記
足尾銅山観光

 私は、レンタカーを借りて、栃木県内を回りました。宇都宮から日光を通って足尾(あしお)町に行きました。

足尾町は、日本で最初に公害が起こったところです。

 古川(ふるかわ)という名前の人が、そこで、銅山を掘って、それを製錬していたのです。

その煙突から毒が出て周囲は、畑が沢山あったのですが、それが全部枯れてしまったのです。

 現在でも、木が生えなくてハゲ山になっています。銅山は今は閉鎖されています。

その銅山跡が博物館になっていて、中に入って、銅山跡を見ました。

 それから鬼怒川(きぬがわ)ライン下りをしました。約6キロの川を40分かけて、小さな船で下って行きました。

凄く迫力があった。スリルもあった。時々水しぶきがかかりました。

 1993年(平成5年)の8月の出来事です。

私のボランティア・2020年02月09日(日)

2020-02-09 12:27:28 | 日記
                      私のボランティア

 1964年、高校2年の時にユネスコクラブ員10数名で、与那原に在った愛隣園で、畑を耕すことをしました。

1日だけです。

 2003年7月にインドのカルカッタで、マザーテレサによって設立された「死を待つ人々の家」で、男性の老人達を

風呂に入れる手伝いをしました。1日だけです。

 2003年7月に、ネパールのカトマンズで50代後半の日本人男性と出会いました。

その人は、トラックの運転手でした。阪神大震災の時に、居ても立っても居れず、ボランティアで、トラックに大量の水を積み込んで、

東京から兵庫県まで運んだという体験を聞きました。被災者の方は感激していたそうです。


3つの宗教が混在するエルサレムへの旅(1997年)No2・2020年02月09日(日)

2020-02-09 03:29:09 | 日記
                  アテネのパルテノン神殿と源河光男
飛行機の中で隣りの席の人にタクシー料金の事を聞いていたので、これは高いと思った。

バックの中から取るものがあるとあると言って強引にトランクからバックを取って急いで空港に戻った。

乗合タクシーが待機していた。私が乗って8人になったので出発した。料金は10US$だった。旧市街のヤッホオの門の前で降りて、

アテネでBさんに聞いていたPetraホテルを探した。

すぐに見つかった。1泊20シケア(680円)だった。

ユースホステルのようなところである。その3階には、バス、トイレ付きの個室もあって1泊5000円(日本円)。

3日目はそこに泊まった。城壁に囲まれたところをエルサレム旧市街と言っているが、

約800メートル×800メートルの広さで2時間もあれば、ほとんどを回ることができる狭いところである。

 夜が明けたのでホテルを出た。少し歩くと[嘆きの壁]が目の前に現れた。朝早いせいか祈っている人はいない。しかし数十人の機関銃を持った兵士が警備をしている。

[嘆きの壁]のすぐ近くにマホメットが昇天したと言われている[岩のドーム](イスラム寺院)がある。イエスが十字架にかけられ、磔刑に処せられたゴルゴダの丘の上に立

つー聖墳墓教会ーも城壁の中にある。

 Petraホテルに3日間宿泊している間になんども城壁の中を歩いたが、危険をかんじたことは一度もなかった。

 7月の末に爆弾テロがあったイエフダ市場は城壁の外にあってPetraホテルから歩いて30 分のところにある。そこに行った。破壊されたところを修理していたが、多くの買

い物客で賑わっていた。何箇所かに機関銃をもった兵士が立っていた。機関銃を持った女性の

兵士を見かける時もあった。ガリラヤ湖に行くためにバスに乗った時にも数人の機関銃を持った兵士と一緒になったこともある。

 城壁に中には、2箇所の[インホメーションセンター]があって観光客に様々な情報を提供している。

 イスラエル滞在4日目に下痢をした。テルアビブのファストフード店でターキー朝食というものをたべた。ホットドッグみたいなものであるが、

ソーセイジの代わりにいろんな野菜からなにから入っている。それを食べた後、調子が悪くなった。その日から翌日まで、ずっとホテルの部屋で過ごした。

次の日にはエジプトのカイロに向けて出発した。

 ファストフード店の名前はSUBWAYだった気がする。下痢には正露丸が一番いいそうですね。
               

3つの宗教が混在するエルサレムへの旅(1997年)No1 ・2020年02月09日(日)

2020-02-09 03:18:54 | 日記
高校2年の時に映画[十戒]を見てから、ユダヤ民族の歴史に興味を持った。又

 その頃キリスト教に興味をもっていたので、聖書の歴史の舞台になったエルサレム

を訪ねて見たいと思っていた。

 その思いを1997年の夏に実現した。HISで沖縄とウイーンの往復切符を買って7月27日

に那覇をソウル経由で出発した。(アシアナ航空で)ウイーン空港に到着しました。夜中

でした。ウイーンで1泊しました。翌日列車でベニスに行きました。1泊しました。翌日列車でローマに向けて出発しました。ローマで3泊しました。その後、ギリシアのアテネに

いった。そこの格安きっぷをあっかっている旅行社で、アテネーテルアビーカイローアテネ

の切符を5万円で買った。偶然にもそこで中城村出身のAさんみに会った。Aさんと一緒にアテネ市内を歩いている時に神戸出身のBさんが声をかけて来た。

2人とも30代後半で、私達は意気投合して一緒にパルテノン神殿に行った。

幸いなことに、Bさんはイスラエルとエジプトを1ヶ月間かけて旅行をしてきたばっかりだったので、

私はイスラエルについての貴重な情報を得ることができた。遅くまで酒を飲みながら話をした。


2人に出会って話を聞くことができただけでも今回の旅を計画してよかったと思った。

 8月5日の夜8時にオリンピック航空でアテネを離陸して、90分後にベンブリオン空港に

到着した。空港でヘブライ文字を見た時に、ついに来た!と実感した。アテネの離陸が予定

より1時間も遅れたので空港をでた時には夜の10時半を過ぎていた。エルサレム行きの

乗合タクシーを探していると若い青年が話しかけて来た。[もう遅いからエルあサレム行き

の乗合タクシーはない。自分の車に乗らないか]私は彼について行った。バックを彼の車のトランク中に入れた。[料金はいくらか?]と尋ねた。[80US$]と彼は答えた。