何もかもが混沌としている。
何処へ向かっているのか
全然分からない。
完全な我儘なのかもしれないが
俺は良いけど
他の人がそれじゃダメだろうって
思ってしまうのはやっぱりおかしいのか?
何がって
あまりに世の中が刹那的になってしまって
そういうのは俺みたいに
何もかも捨てたような人間のやることなんだけどって
思うことが最近本当に多い。
まださ、
貯金してますとか
投資してますとか
子供いますとか
保険入ってますとか
そういう考えの人が居れば
この世は大丈夫だろうって思うけどさ
世の中が全部俺と同じ考えになったら
本当にヤバいからね。
明日終わるっていう人なら
何やってもいいやって
考えになるだろう。
でも、実際のところ
そんな風になったら何でもやるかって言えばそんなことは
ないんだけど
根本的な部分で
死ぬのが怖いのか、というところがあって
そこで答えがかなり別れる。
大体の人は死ぬのは怖いとか
嫌だという観念を持っているので
それを否定するように生きる方法を考える。
でも、俺はかなり早い段階でそれが無くなってしまったので
そういう観念では生きてない。
それともう一つ
誰かと一緒に居たい、という観念も
かなり早い段階で無くなった。
肯定的で居てくれる人
好いてくれる人があまり居ない状況で
自分の存在を置いておくのは
それだけで苦しい環境になってしまう。
自分に対しての感情というものもある。
よく言われる、自己肯定感だけど
俺は俺自身が嫌いではない。
むしろ好きだから
他者から愛されない自分っていうのが
客観的に見て辛い。
だからそういう場所に居たくないんだろうな。
結局、接触を避ければそれで普通で居られるなら
そちらを選ぶしかないという選択なんだと思う。
本能的には長生きして良いと思っているんだろう。
でも死ぬことに恐怖は無い。
それよりも自由を拘束される方が数倍恐怖なんだろう。
そういう心理的階層が一般の人とはかなりかけ離れているんだと思う。
どうなってもいい、って思っているんだから
何をしたっていいじゃないかって
そういう考えにならないか?って
思うのかもしれないが
死刑になって死ぬことは別に構わない、
でも、そうなれなかった場合は?
長期にわたる拘束が待っているわけで
それは俺にとっては耐え難い苦痛だったり
恐怖なわけで
自殺して終わりにすればいいじゃないかって
いう話も
確実に意識もないまま
この世から消えれるならいいが
中途半端に後遺症のあるまま生き残ってしまったりしたら?
簡単に言うなら
死ぬより生きていくことの方が何倍も苦しいと俺は思っているんだろうな
だからこそ
あっさり終われる最期を待っているのであって
そうならない方向に行かないようにしているんだろう。
別に難しくは考えていない。
基本は楽しい事をしようとしてる。
それだけ
それ以外何も考えていないし
ドンドン無くなって行っているのを実感しているよ。
楽しいことがね。
自分自身がそういう興味を失ってきているのもあるし
見ないようにしても
邪魔が沢山入るようになってくる。