本当にそこかしこに
俺の行動を抑圧するものは存在する。
だから
予定をしても
その通りにはまず行かなくなっている。
分かってはいるけど
なかなか俺自身それを受け入れられないんだな。
仕事期間なんで
寝て過ごす一日。
行かない店の稼働状況をデータ見ながら
今後を予想するみたいな一日だった筈なんだ。
のんびり過ごすっていうね。
ところが昼に起きて飯を作っていたら
親父が何の気なしに
キーレスが動かないんだけど・・・
とか言ってきた。
それだけなら
普通に考えれば
キーレスの電池切れだろって思ったんだわ。
だから
ダイソー行って電池買ってきて
取り替えて
これで直ったろって
面倒だなって思ったけど
まぁしょうがない、くらいに思った。
ところがだ・・・
キーレス押してもうんともスンとも言わない。
あ~ヤベーなコレ
車体側かよ・・・
って思ったと同時に
気が付いたことが
前に交換したリアドアが
またベッコりだよ。
はぁ・・・・
キーレスが壊れたんじゃなくて
リアドアぶつけたんじゃん・・
正直、もう親父には車に乗って欲しくない。
相当意識が低い、
でも、これ以上俺の仕事が増えるのも困る。
今日の仕事が終わればまた山へ行くつもりなんだから
親父が車に乗らなければ
買い物は誰も行かないだろう
俺の生活のかなりを介護とかに持っていかれると考えると
自立して出来るなら
出来るところまではやっていて欲しいっていうのも
本音だ。
ただ、
俺の人生も含めてだけど
親父の性格って言う部分が
この流れを生んでしまっているというのも
やっぱり実感するんだな。
起こったことを無かったことにしている、というか
ぶつけたことすら
無かったことにしようとしている節すらあるから
そこがねってところなんだよね。
ぶつけちゃったんだよ、って
最初に言ってくれれば
こちらもそれによっての問題を考えるから
直す段取りとか故障診断も変わる、
でも、親父はぶつけたことは無かったかのように
キーレスが動かないんだけどって
言ってくるんだよな。
いやそりゃさ
ぶつけたのが原因でキーレスが動かないんだからって
なれば
違った対応をするじゃん。
実際、リアドアが恐らく閉まっていないんだと思うんだな。
それでキーレスが動作しない状態なんだと思う。
まぁチリが合ってない状態になっているんだと思うし
ナンバー灯も曲がっていたから
叩き出ししたりして直さないとならないかなって
感じ、
今月は予定がかなり入っているから
予定外の作業をやる時間があまりないんだよね。
とりあえず乗れるから
そのまま乗っておけって感じだけど
まぁ運転職をやってこなかった人だから
当然そういう教育を受けてないから
しょうがないんだろうけど
とりあえず言えることは
基本バックはするな、が重要なんだよね。
どんなにプロドライバーだろうが
リスクの高いことはなるべくしないから
上手いって言われるんであって
その基本はバックはしないが重要なんだよ。
下手になって行くんだから
当然やれないことって言うのは増えるんだよ、
そこの選択を誤らなければ
決して認知機能が落ちていても
運転し続けられないってことはないんだよ。
ボードとかでもそうだけど
急坂が滑れない、なんて
そんなの当たり前なんだよね。
俺が久しぶりにスキーやって出来なかったっていうのも
何で難しいって思ったのかは
ハッキリ分かっているんだわ。
それはブレーキの掛け方が分からないからなんだよ。
止まれないから滑れないんだから
止まり方が分かっていればゆっくり滑ればいいんだから
普通に滑れるんだよ。
でも止まれないってなったらそれには乗れないんだよ。
急坂を滑れないは
技術がないじゃないんだよね。
ラインを考えていないからなんだよ。
パウダーでもない圧雪で急坂を直下ったらそりゃただの度胸試しなんだよ、
それこそ止まれる技術が高ければ
それも可能だろうけどな、
基本横に滑る、
ターン数を増やすをすれば
別に急坂でも急に落下することは無いから普通に滑れるんだよ、
要するに
攻略していくには何でも理論があって
それを理解しているかが大事なんであって
それに見合った自分の技量があるかないかで
方法を変えればいいだけなんだ、
だから認知機能が落ちているって自覚出来たなら
バックカメラつけるとか
バックはしないで運転できる道を通るとか
動き方を変えればいいだけなんだけど
同じことを何度もやっているから
ダメなんだろうなって
俺は思ってしまうんだよ。