4000字近い記事を書き終えたが
読み返して
事実とは違うのかもなって思って
全部消した。
とにかく言える
現実は1250枚マイナスを作って終了したということ
俺には最低な日だったなって感じだけど
昨日から今日にかけて
色々振り返ってみて思うのは
まぁ裏行ってたなと
それだけなのかもな
このスロっていうものは
本当の意味で答え合わせが出来ないところが
キツイ所ではあるんだな。
実際、これを書く前に書いた4000文字では
流石に今日の店はヤバいって感じで書いていたわけだし
俺に見えた側面はそんな感じだったわけで
ただ、
全体的に改めてデータを見ると
俺が触っていないところが当たりだったりって思うと
結局
昨日の逆をやっているって考えれば
それを俺はまた逆に行っているから
結果として全部ハズレに行っているとも言えるわけで
それは仕方ないんじゃないって結論になるわけで
昨日も書いたけど
ここで一区切りにした方が良いって
思ったのは確かで
その確たる理由みたいなものも
今日、車で走っている間に独り言で
自分と討論していてふと湧いてきていて
たとえば
今日行く店で
どこを狙うか?っていう問いに
俺は多分ゲッターしか行かないだろうなっていう答えが出るわけで
これがクラクレに行くとか
ファミスタに行くっていう気持ちが
ほぼ0なんだよね。
つまり、これがパターン化なんだと思う。
店にある台が決まっていて
設置場所も決まっている。
そうなると通ってしまうと同じところにしか
行かなくなる。
それが相手にも周りにも全部周知されてしまう。
これがダメなんだよね。
思考が凝り固まってしまっているという感じ
極論
じゃ、どうなったら俺はクラクレに座る?
って思ったら
設定6の札でも刺さっていれば流石に座るかもな・・・
ってレベルだから
つまり
そこまでならないと
ゲッターを止めてクラクレには座らないってなってしまっているんだよ。
フラットに見れていないんだな。
更に言うなら
じゃ他のAT機とかスマスロに座る可能性は?って
考えると
恐らくだけど極論設定6の札刺さっていても
もしかしたら座らないかもな、ってレベルよ。
そのくらい圏外なんだよね。
更に話を極論で進めると
スマスロの専門店に間違って入ってしまったら
どうするか?
って問うたら
まぁそもそも打ちたい台がない店に行ってしまうことはないけど
もし行ってしまったら
打たないで帰るな、っていうのが
俺の素直な回答なんだな。
つまり、
今後いくらATで面白いものを出そうが
きっと俺はもうやらないと思うっていうのが
率直な回答なんだと思う。
スマスロが出て1年半以上か
経緯というか猶予というか
色々な面から見てきたけど
結果として俺の回答は
やらない、っていう結論にしかなっていない。
一度この選択になってしまうと
簡単には覆らないだろうね。
こういうことを車の運転中に急に思いついた、というか
湧いてきたんだわ。
確かにね。
だって今だってリフト券がニセコで1万数千円って
すげーたけーって
思っているけど
それよりも今日は倍近く負けているわけだし
どっちかって言うと
そこで得られたものってかなりの絶望感と失望感だけで
何の楽しみも無かったって感じている。
これが現状のスロットが俺にくれるものだって考えたら
それよりも更にやる気が無いスマスロなんて
まず触るわけねーだろ。
スロットに対する俺の考え方がそもそも違うから
仕方ないんだけどさ
俺からしたらスロットは次に繋がるための手段でしかないわけで
日常ありふれてどこにでもあって
日本中どこでも気軽にできる遊び、
そしてそこで少額の勝ちを作れば
次の行動に繋がる、っていう感覚で行っているから
一勝負に数十万賭けて
勝てば豪遊とか
そんな気持ちはサラサラないし
一番重要なのはそこへ行ったことで
次の行動が取れなくなってしまうっていう結末は最悪だと思うし。
今のスロとかパチが一番問題なのは
そこの部分なんだと思うよ。
次に繋がらないものが多い。
店には次も来ようと思うような期待感がないし
台も
完結型ばっかりだから
これは今の世代の人がやりがちなことなんだけど
車とかバイクとかもそれに近いよね。
何でも付いてます、揃ってます。
買えば全部オールインパッケージみたいな
そういうの欲してないんだわ。
クリエーター的な人ほどそういうの興味ないと思うんだよね。
欲しいのはあくまで素材で
そこからどうやって使うかはユーザー次第っていうのが
一番ウケるんだよね、本当は
スロットもそうで
ゲームで言えば
一番の原点はマリオブラザーズみたいなもんか、
アレがめちゃくちゃヒットした理由って
別に任天堂の人は狙っていたのかはしらないけど
勝手にユーザーがやり出した
殺し合い、が一番ウケたんだよね。
あくまで任天堂は素材としてのゲームを提供したに過ぎないわけで
それをユーザーが勝手に
共闘じゃなくて
殺し合いすると楽しいって思ってやり出したっていうだけで
遊び方はユーザーが勝手にあれこれやって作り出すものだから
作り手側があれこれ指図するものじゃないんだよね、
つまり手を入れすぎると
つまらなくなるんだよ。
だから今のAT機に言えることでもね、
エンディングがどうしてもあるじゃん。
つまりストーリーを一通り見終わったら終わりなんだよ。
昔のゲームはエンドレスなんだ、
だから何度でもやるし
色々な結末があるんだよ。
そこが大事なんだよ。
また長々書いているけど
気持ち的にガッカリ感が強かった。
仕方ないから昨日ちょっと書いたけど
カラオケにでも久しぶりに行くかと思って
数年ぶりに行ってみた。
2時間歌いっぱなし
新しい曲を一切入れていないけど
それでも
途切れることはほぼないな。
流石に昔みたいに半日とかは無理だな。
2時間でも声が出なくなってしまった。