(松尾芭蕉 笈の小文より)
「空定めなき 身は風葉(ふうよう)の行方なき」
旅に生きた芭蕉は『奥の細道』だけでなく、数多くの俳諧紀行文を残しました。『笈の小文』もそのひとつ。江戸から尾張、伊勢、大和などを経て神戸須磨に至る旅の記であります。
芭蕉さんでなくても、最近の空や気候、そして社会そのものは定めなど無い、と思えます。
私めも『世は定めなき』というテーマで小説を何回か試みました。
残念ながら失敗作ばかりでした。
今回懲りずに再チャレンジしてみました。宜しくお願いします。
尚写真は以前のままで申し訳ありません🙏
朝生真緒は、戦前から続く菓子店の一人娘だった。
名物のフルーツタルレットは地元特産の季節の果物をたっぷりと使って若い女の子の人気を得た。
都内の有名デパート地下に出店を持って商売は順調だった、、、少なくとも麻央が大学を卒業した年の秋までは。
菓子製造は古参の職人が取り仕切って、跡取り息子の父親はもっぱら外交に専念し、家におさまった母は優雅に習い事などしていた。
夫婦相和しとは決していかないが、外目にはリッチで幸せな一家と見えた。
しかし、秋に父が急死、その後始末で疲れ果てた母も亡くなってから、麻央の身辺に不穏な雰囲気が漂い始めた。
両親とも溺死で、死因は謎に包まれていた。
本店とも一家の住む家とも離れた県境の河原で両親の死体は発見されている。
三年の時が過ぎたが、他殺とも自殺とも事故死とも未だ判明していないのだ。
父が自殺だとした場合、従業員や関係者、麻央もそんな気配は少しも感じなかったし、経済面も人間関係にも大きな支障は無かった筈だった。又非常にお人好しで人に恨まれる要因はまるで持たない、遺産相続のトラブルもない、殺される原因など考えられ無かった。
金目当てなら家を襲う筈だし、両親とも金目のものを所持して外出していなかった。
事故死した夫の後を疲れた妻が追ったのでは無いか?
という噂だけが残った。
元々慶事の菓子を売って名の売れた店だったのに不吉過ぎると噂が広まり、客もバタッと来なくなって以前からいた菓子職人は高齢を理由に辞めていった
店の処分について相談出来る縁者もいなかった。
困り果てた真緒に追い討ちをかけるように、母の死後父の残した多額の借金が判明したのである。言われの無い借金だと真緒は弁護士を立てて対抗したものの借金申込み書類に父の名前と実印が明確に残っていて勝ち目など無かった。
僅かな猶予期間の後、実家の全財産どころか家も抵当に入っていて、真緒は全て失ってしまった。
弁護士が早めに手続きを取ってくれたお陰で、それ以上の借金を真緒が背負う事は無かったが、文字通り彼女は一文無しになった。
幸い勤めを持っていた彼女は、東京に戻った。会社からは特別休校をもらえたが、お先真っ暗な気分だった。
それでもなんとか人生の立て直しを図るつもりだった。
ところが、その時真緒を徹底的に打ちのめす知らせが会社の同僚から届いたのである。
彼女がずっと以前から愛し続けていた男、相田浩樹が失踪したという内容だった。