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読書の森

平和の国であなたを待つ その3

その事件は幼い敏江にとって訳の分からない悪夢の様なものだった。それは敏江の心の奥に仕舞い込まれて、記憶の表面に現れる事はなかった。

事情を知らないイジメっ子から「あんたのお母さんもお父さんも一緒に居ないんだって?親なしっ子!」と揶揄われる事の方が確かな心の傷となった。
担任の教師は敏江の立場をよく心得て、イジメっ子に分かる言葉で諭した。
何故なら戦後間もない貧しい時代には、それぞれの事情を抱える子どもがかなり多かったからである。

敏江は、降って沸いた不幸に特別めげる事もなく、新しい学校に馴染んでいった。
戦争によって、突然の「不幸」に見舞われた家庭の子が多かったからである。


実は一緒に暮らす母屋の子どもたちも母の無い子だった。

敏江は工場長の伯父と血縁関係は無いが、その子たちとも血の繋がりはなかった。苦学して会社を起こした伯父は鷹揚な人だが、身内に極めて厳格な男だった。それに耐えかねた妻が男と駆け落ちをしてしまったのである。

そこで人を介して、親の破産の問題を抱えた伯母が子どもたちの母親として家に入った。

年子の子どもたちはその母親の血を引いたのか、極めて美形だった。男の子二人で末っ子が女で美佐子という。

5才年上の美佐子は、敏江を何かと揶揄いたがった。
「敏江ちゃん、家にいると本ばっかり読んでるけど、本の中に本当の事書いてあると思ってんの?」

もとより、現実を直視するのが怖さに、せがんで買ってもらった童話集を読んでる、と敏江が意識してる訳はなかった。
ムッとして敏江は美佐子の京人形の様な顔を睨んだ。
「そんな事思ってない、面白いお話だから読んでるだけ」

美佐子はニヤッと笑う。
「敏江ちゃん、世界地図見た事あるよね?」
敏江はたじろいだ。社会科の時間は試験に出る様なところだけ熱心に聞いていて、地図などしみじみ見た事がなかった。

美佐子は、時々ドッキリする程頭の良さそうな事を言う。

「敏江ちゃん、日本は大陸に囲まれた小さな島だよね。なんでこんな小さな国が戦争を始めたのか、分かんないけど」
敏江は又もムッとした。
「日本人は礼儀正しい民族だわ。歴史も古いし、小さいってバカにされる事ないよ!」

「敏江ちゃんって頭良いから、小さいのにきっちり理屈が通る事言うね。
だけどね、その愛国心っていうのが曲者なのよ」

「ええ?」









読んでいただき心から感謝いたします。

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