又も想定外の豪雨、自然は人間より強大な自分の力を誇示するごとく、仁義なき(当たり前だけど)暴力(?)をふるってます。
被害にあった方達の(山形や秋田に知り合いいますので)ご無事でいらっしゃる事を祈ってます。家族を心配されてる方もいらっしゃるでしょう。
親にとって我が子は無条件に可愛いもの、子どもにとって親は必ず自分の味方になってくれるもの、と言うのが今でも社会常識としてあります。
しかし、今現在の可愛い筈の我が子への虐待、子どもの親殺し、いい歳した夫婦の殺し合いなど、諸事情から、常識で割り切れない家庭内の人間関係の悲劇が生じる事は昔からあります。
非常に若い頃、親切過ぎる医者から結婚についてのドクターストップ(?)がかかった私、生きがいを失って絶望感に打ちひしがれた日々を送ってました。
自分達の世代では珍しい大家族の中の一人っ子だったので、息苦しさに逃げ出して平凡な暮らしをするのが夢だったのです。
ビッコだった事よりも、失恋よりも、恥ずかしながら(好きな人と)sex出来ないというのが最大の悩みでした。(奥さんが私と同じ股関節症だったお医者様がsexや妊娠出産すると殆どのケースで脚の障害が重くなると言う意味で注意しただけで、20歳のクソ真面目な私はsex禁止令と受けてしまった、というバカみたいな話です)
いつもの変なグチでごめんなさい🙏
無駄話はここまでで、家族間の問題、夫婦、親子の葛藤から起きる悲劇を物語の形に出来たらと創作に挑戦した次第です。焼き直し作品で恥ずかしいですが公開します。
興味を持っていただければ幸いです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/39/1919567a42d7927abf9be459f1c33f3f.jpg?1663124801)
未だ戦争の傷跡が残る昭和27年秋、始発列車に乗ろうとした農夫がその死体を発見したのは、上田駅待合室のベンチである。
死んでいたのは未だ若い婦人に見えたが、身体をクの字に曲げ、口から血を吐いてベンチに倒れていた。
その土地では珍しい上等な牛革のボストンバックと水筒が転がっていた。どちらも年代ものであった。
身分を証明するものは所持していなかったが、この狭い町でその女性の名を知らない人は居なかった。
上質な着物も、苦痛の為に歪んではいるが整った顔立ちも、その町の高校教師、朝里昭雄の妻、圭子に違いなかった。
「朝里先生の奥さんだよ」駆けつけた駐在が気の毒そうに呟いた。
朝里昭雄はその町一番の旧家の一人息子だったし、東京の一流大学を出た、極めて評判の良い教師だった。
家庭的にも子煩悩で、休日など可愛い女の子と手を繋いで夫婦睦まじく連れ立って歩く姿を町内の人は何回も見ていた。