広大な朝里の本家敷地からかなり離れた文化住宅で一家は平穏な暮らしを続けいていた。
真面目そのものの父親、評判の美人の優しい母親、両親は一人娘の希子を大事にしていた。
東京の大学に学んだ昭雄は都内の女学生と合同のコーラスサークルで母と親しくなった。結婚後、愛妻を封建的な家庭制度の中に置く事を嫌い、水入らずの生活を選んだ。
昭和26年、一通の手紙が突然舞い込む迄は。
圭子宛の手紙の差し出し人は小学校時代の友人からだった。それも結婚通知を出していない女性である。「よくこの住所が分かったな」と圭子は首を傾げて開けた。
きっちり畳まれた2枚の便箋の差し出し人は小学校時代の友人に違いなかったが、忘れられない男だった。
学徒動員で満州に派兵された初恋の人米本である。
思想を疑われたとかで厳しい戦線に回され、ソ連(ロシア)軍の捕虜になったという。シベリアで病死と風の便りに聞いて、諦めて結婚を決めたのである。
終戦後よくある話だが、「他人と間違えられて死んだ事にされていた。帰国後東京で懸命に働き、小規模ながら会社を興した、叶わない夢かもしれないが、せめてもう一度会いたい」という内容である。
手紙を受け取った後の圭子は人が変わったように、落ち着きがなくなった。
希子の好きな厚焼き卵に砂糖のつもりで塩をたっぷり加えてしまったり、アイロンがけで夫のワイシャツに真っ黒な焦げ目をつけたり、妙にはしゃぎ回ったり、そうかと思うと急に黙り込んだりした。
その後曲折を経て会う約束が出来たのだろうか。

圭子の変化に、繊細な昭雄や希子が気づかない訳はなかった。

圭子の変化に、繊細な昭雄や希子が気づかない訳はなかった。
今にして思えば、と高校生の希子は思う。見た目に似ず能天気で外交的な母に比べ内気な父は思い詰めるとかなり思い切った事をする人だった。
おそらく、妻の大切に隠していた写真や手紙を探し出して、妻の上京の原因が分かったのだろう。
愛してる人の裏切りは許す事が出来なかったのではないか?
そこで致死量の青酸カリを理科室で入手した。
化学を教えている教師としては薬剤を置いた棚から少量盗み出すのはいとも容易い事だったに違いない。
それをさりげなく自分用の薬の空き瓶に入れておいたのである。
よくよくの覚悟の上だったのではないか。


幼い希子はひらがな位は読めるが当然母に来た親書など読める訳はなかった。
彼女が母の恋人の存在を知ったのは、滅多にかかる事のなかった電話だった。
茶の間に重々しく置かれた黒電話は希子にとって興味しんしんの道具だった。
「ここから音が伝わるんだわ!
凄いわ!」
柔らかな日差しの届く午後、希子がしみじみそれを眺めていた時、突如として音が鳴ったのである。
背を伸ばせば手が届くそれを取り上げて耳に当てた。
「もしもし、圭子さん」
「、、、」
「圭子さんだろ」
響きの良い男の声だった。父の声とはあきらかに違う若々しい声、それに父は「圭子」なんて言わない「お母さん」と呼ぶ筈だ。
希子が電話を取ろうとした瞬間、そばから母の手が伸びてきた。
気づいた母が慌てて取り上げたのである。
「ああ、もしもし、今取ったのは私の子どもでございます。失礼致しました。後ほどこちらからお電話致しますので又」
急いで電話を切った母の顔は上気していて若い娘のように見えた。
子ども心に「母には自分より大切な人がいる」と希子は直感したのである。
母を女神のように慕い愛していただけにひどく裏切られた気がして、希子は深く傷ついた。
「大事な母と母を奪おうとするその男を絶対に引き離さなくてはならない」
その一心で希子は母の行動に注意していた。
速達が来て母が上京すると告げた時、母の足止めをする工作をした。
水筒に入れた強力な下剤によって、母は相当な下痢に苦しむだけの筈だった。それが死に至る毒物だったのである。
という事は昭雄は希子の罪を庇う形で自殺したのか?
自分が口をつぐめば、一切を闇に葬る事はできて、希子の将来が護られると考えたのだろう。
そして証拠になるものは全て廃棄した。もともと下剤の入っていた筈の薬瓶を処分するのは容易である。
そこまで考えて、希子は自分自身が恐ろしかった。
親殺しの本当の犯人は知らなかったとは言え、自分ではないか?
その後、
希子は苦しみを忘れるように友人とバカ話をして、勉学に励んだ。
この物語(フィクションですよ)は続きますが、残念ながら婆の息が続かずひとまずここで長くお休み(創作を)致します。