昭和40年(1965年)私が大学入学した時の思い出です。
その年の春、私は当時の北朝鮮政府が作った宣伝映画を母校で観たのす。
実は当時は日本と朝鮮の間でも、割合自由に交流が出来たのであります!
そして、その時の自分は全然それと知らずに当時の民青(学生運動の雄?)の後ろ盾があるサークルに入部していたのであります。映画はサークル主催で上映されたのでした。
見出し写真は部室で撮影してもらったモノです。ピカピカの一年生で早稲田のイモ姉ちゃんでした。
(昭和40年竣工したコープオリンピア。明治神宮近くに今も建ってます)
入学したての私、キャンパスは男子が圧倒的に多く、知らん人ばかりでかなり心細かった(折角知り合いになった女子とつまらぬ事から離れてしまう)のです。
ともかく自分に合うサークルに入って友達を作りたいと教育学部の地下をウロウロしてました。
当時の大学の教育学部の地下階は暗く汚く部室が点在してました。その中で一つドアが開いてる所があった。教育を研究するサークルみたい(教研ではないですよ)。
私、ふらふらと中に入っちゃったのでした。
(60年代にヒットした歌謡曲。元スパイダースの堺正章は今や芸能界の大御所です)
(60年代にヒットした歌謡曲。元スパイダースの堺正章は今や芸能界の大御所です)
そこは非常にアットホームな雰囲気で、みんな貴重な女子を(何せ絶対人数が不足してた)大歓迎してくれました。同級生の女子と入った部室の雰囲気とまるで違ったのですね。その子スッゴイ美人(学内一二を争うほどの)だから男子の視線が集中して私無視されてプンプンしてましたから。
即入部して、私は学業の傍ら毎日せっせと部室に通っておりました。
(当時新発売された食品でーす)
(当時新発売された食品でーす)
入学したては見るもの聞くもの全てもの珍しく、とっても新鮮な気分でありました。しかし、どうも私は社会的視野が欠けていたらしい。ちょっと惹かれる部員(先輩の男子)から「社会的な勉強をしなさい」と言われて、「何?」と思ってしまったのです。
気がつけば、母校は学生運動のメッカであります。丁度翌年から学費が一斉に値上げする事(つまり私は学費がかなり安い時に入学できたのです)になって、キャンパスは「値上げ反対!」のデモで荒れ狂っておりました。つまり「教育の機会均等という憲法を守れ!」という事でした。
この頃からゲバが盛んになったのです。政治オンチの私もやっと優しい先輩たちが民主青年同盟に入っている事を理解したのです。
その前に北朝鮮の風景や生活を見せてもらったのですね。皆楽しそうで豊かな印象だったのです。しかし本当の事を知った私はしらけてしまったのでした。
(その後入部して長く交流を持ったサークルの昭和42年夏合宿。房総海岸で勉強会?をしました)
(その後入部して長く交流を持ったサークルの昭和42年夏合宿。房総海岸で勉強会?をしました)
私は、あまりに外向きなサークルや大学生の風潮に反発して、人間の心を追及するサークルに入り直したのです。
最初は美人の同級生ばっかチヤホヤする男子学生に反発、次は深く考えずに(と当時思った)学生運動に没入する男子学生に反発して、入部しなかった私。
反抗心ばかり強かったようです。自己弁護ですがお人好しで弱いものには優しいのですが、上から目線で言われると反発する癖があるみたいです。
振り返ると、学生運動にのめり込む事はなく学生運動に関心を持った仲間(男女問わず)の方が社会的に成功した人が多いようです。
外側にも内側にも健全なる関心を持った方が世の中上手くいくようですよ^_^