私が宮部みゆきの作品を徹底的に読み返したいと思ったキッカケは、今回恩田睦が受賞した直木賞の選評を読んでからだ。
宮部みゆきは終始暖かい言葉を選んで評していた。
それ以上に感銘を受けたのは、冲方丁の『十二人の死にたい子どもたち』に対し「自分も触発された」と述べた事だ。
選考委員が候補作を上から見ず、同じ立場で感想を記してる印象である。
あの宮部みゆきにしてこの言葉、まさに苦労人と思われる。
ずっと以前、雑誌の対談で著者が「後どれ位書いたら、もう暮らしに困らないかと思って書く」と答えてた。
冗談ではなさそうで、はっとしたのである。
宮部みゆきは作品の中で自分を語った事はない。
終始一貫語り部である。
この人は1960年生まれ、東京の下町育ちであり、高校卒業後速記者として生計を立てていた。
それ位しか自分を語っていない。
27歳のデビューと小説家として早い出発をした。
あくまでも、勝手な推測だが、大学進学を経済的理由で諦めざるを得なかった人でないかと思う。
更に、言葉に関わる仕事で女性の一生の職業になる速記者を選んだと考える。
その間に何程の事に出遭い、何程の事を学んだか。
感性も記憶力も強い宮部みゆきは貪欲に吸収していったと思える。
下町と言っても浅草、上野といった所ではない。
金町、錦糸町、砂町、あの辺りの人情風情を描かせると非常にビビッドな感じである。
『火車』を改めて読むと、貧しい暮らし底辺に落ちた人に深い共感と同情がある。
宮部みゆきは、単に非常に面白い物語を書く天才的な人という見方が一変した。
今は、宮部みゆきは心の地獄を乗り越えた人だと思えてならない。
さて、『火車』に戻るが、評論家の佐高信が、
「自分の過去を消し、他人になろうとしてなりきれなかった女たちを描いて、この作品は哀切である」
と激賛した。
至言である。
宮部みゆきは、人間の負の感情、苦悩や涙を見事な作品を描く作業で昇華した人ではないかと思う。
読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️
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