シンガポールに留まっているかどうか分からない、いたとしてもどこにいるか分からない失踪した男、真緒と実質的には全く無関係の男を追って、未知の国に向かうなど気狂い沙汰である。
幼い頃から真緒は一旦心に決めると後先考えず突っ走る悪い癖があった。
彼女がした事は、パスポートは用意してあるので、ネットで見た格安旅行ツアーでシンガポール行きを選んだだけである。
現地で有効なクレジットカードの残額を確認して、国内旅行で用意したスーツケースを中身ごと持っていく。
彼女はポッポと熱した気持ちであるが、頭は冷めてる「つもり」だった。
彼女が自分のとんでもない無謀さに気づいて青くなったのは、シンガポールに向かう夜行便の中だった。
格安ツアーゆえ、機内サービスも一段落ちる感じで、学生時代、友人と初めてハワイ旅行をしたのと大違いである。
窮屈な座席、しかも外の景色などまるで見えない中央部で隣席は同じツアーといえ、かなり胡散臭い男がいてガムをクチャクチャ噛んでいる。胡散臭いだけでなく、変な臭いを発しているようだ。
この時真緒がいくら後悔しようともはや雲の上にいるのだ。途中で降りる事は不可能だ。
「ああ飛行機なんか乗るんじゃ無かった!
(・∀・)」
後悔は先に立たぬものである。
「でも私彼を愛してる❤」
心の中でお題目のように呟いて麻央は紙コップの清涼飲料水を一気に飲んだ。
(だって大切なのは愛されるより愛する事だもん。心と心で)
一年前のことである。
浩樹は海を渡ってシンガポール支店勤務となって直ぐに絵葉書を送ってきた。
マーライオンが映った絵葉書は、元気である事とシンガポールの治安の良さについて触れているだけだったが、そのあと船便で小さな包みが麻央の下に届いた。
小箱に入ったキラキラ光る紅い石とレポート用紙に書かれたメモのような手紙だった。
「シンガポールは人種のルツボであります。バランスを図る為にも治安と観光に力を入れているようです。
今自分は社宅にいますが、この近くの中国人街に移り住むかも知れません。
そして、もうその時は会社に所属する身ではないと思います」
嘘のように光る石を麻央は凝然と見た。
会いに来てくれ、と言ってないのもがっくりきた。
ただ、彼女がシンガポール行きを決めた最大の理由がそのメモ書きだった。
「これじゃあ、シンガポールの中国人街にいると言ってるようなものじゃないか」
と推測したからである。