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読書の森

子どもの頃の物語 その1

恥ずかしながら、ある目的の為に、添削の上、私の歴史を再掲載いたします。読んで頂ければ感謝感激です。
(見出しは20歳の時学生証に貼った写真です。今見る影もないですよ)

登場する人物は私を除いて皆故人で、迷惑をかける心配がまず無いからです。

これは昭和20年代岐阜県大垣市の田舎町で撮った4歳の私です。父方の祖母にも母方の祖父母にとっても初孫で、周りに可愛いがる対象のない大人からやたらと構われてました。
今でもそうなんですが、私はかまわれるのが嫌で仕方ない、周りは年上ばかりの為、弄る事が出来る近所の子猫を追いかけては猫に嫌がられてました。

 
さて、両親の馴れ初めは終戦後まもなくです。
昭和20年、父は兵役を解かれた後、大垣の街中で当時19歳の母に一目ぼれしたそうです。
母は生まれ故郷の名古屋に帰って又税務局で働く気満々、昔の友達(ボーイフレンドも含む)と会う気いっぱいで結婚する気などまるでなかった。
 
その昔は家柄の良かった父、母方の知人に頼み込んで、お見合い話に持ち込んだのです。
入手した缶詰などをせっせと母の両親に届けご機嫌取りをしました。
背が高く一応見栄えが良い父を信用して、当時農地改革で元庄屋の家が火の車だった祖父母の懇願により、母は口答え一つできず結婚する事になったのです。
お見合いの場で父が見せた笑顔がとても優しく可愛いくて、母は「いい人なんだ、まあ仕方ないわ」と嫁に行くことを決めたとか。
柊生、上からの命令には決して逆らわぬ母だったからです。
 
関ヶ原の戦いで父方の先祖が徳川、母方の先祖が豊臣方についていたそうですが、
両家の家風はそれこそ敵味方、火と水の如く全く肌合いの異なるものでした。

実はこのお見合いで、父は自分の経歴や健康について嘘八百を並べていたのでした。
家柄を鼻にかけるきらいはありましたが、真っ当な道ばかり歩いて人を疑うことを知らない母方の親類はみなコロリと騙されていたのです。
 
父が哀しいほど嘘が上手くなったのも、深い訳がありました。
 
注:農地改革は昭和22年に実行されました。ただ戦後の大不況米の大凶作で農家は疲弊し、その上弟妹が育ち盛りの為に、長女の伯母次女の母は早く嫁に出されたのです。

読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️

コメント一覧

airport_2014
@hayane-hayaoki 有難いです。ただちょっと話の展開が違うのですよ。それでも事実は小説より奇なりです。読んでいただければ最高にうれしいです。
hayane-hayaoki
可愛い笑顔。
きっと大事に可愛がられたのでしょうね。
この可愛い女のコがどんな女性に成長するのか、物語が楽しみです!
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