読書の森

ツツジ咲く街 その1



「杏子、何ニヤニヤしてんの?」
角川多美の問いかけを双葉杏子は意味のない笑いを続けて誤魔化した。

スッキリと晴れた空の新横浜、歩道橋脇のツツジは満開である。

最近暇を見つけては創作に励んでる事を、杏子は誰にも打ち明けていない。

ツツジの香りに包まれた瞬間、物語のワンシーンが頭に閃いた。
それも大人の男女のラブシーンである。

それが妙な笑いに結びついたのである。
最近、杏子の頭の中は様々なストーリーが渦巻いて秩序に欠けていた。

双葉杏子独身の55歳、フリーで校正の仕事をして細々と暮らしている。
角川多美は既婚者、仕事仲間である。
新横浜に住んでいる。
多美と会う為、昔住んだ街に杏子は来たのだ。



杏子は十数年間住み続けていたこの街を愛していた。

初めて小さなマンションを買ったのもこの街である。

この街から勤めに出て、この街で淡い恋をした。
其の間、新横浜は目覚ましく進化した。
駅ビルが出来て街は美しく整備された。

もっとも杏子の住む駅の裏側は自然豊かなローカル色が漂う。

杏子の生活が一変したのは、45歳の時である。
大阪に住む父が借金だけ遺して亡くなった。
二歳年上の兄の京太は借金の返済に行き詰まり自殺した。

茫然自失としていた母美佐子は、何も手に付かなかった。
そして杏子の目の前で、忘れる事の出来ない錯乱を起こしたのである。

静かに凪いでいた杏子の生活に嵐の様に災厄が降りかかる。

人間必死になると、道は開くものである。
杏子自分の遺産放棄の申請をギリギリの期限で通してもらった。
母が借金の支払い能力が無いという申請も出した。
同時に母の生活保護申請を出した。
見栄など張っていられなかった。

杏子の出来たのはそこまでである。
心労が重なって、杏子も病に倒れ退職に追い込まれた。

恋人の河出蓮は、杏子が母の生活保護申請を出した時点で別れを告げた。
痩せて目の光だけ異様に鋭くなった彼女を避けたのである。
「元の明るい元気な杏子に戻って来いよ」
この言葉が彼の精一杯の愛情表現だった。

杏子が頑張ったのは恋人に経済上の迷惑をかけたくなかったからである。
事前に相談したらもっと穏やかな自分でいたかも知れない。
しかし、それは杏子には女のずる賢さに思えたのである。

読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「創作」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事