2021年初めに「天城山心中」を取り上げた事があります。昭和31(1957)年に起きた元満州国皇帝の長女の学習院大生、慧生さんと級友の大久保武道との心中事件です。
当時の私、相当な衝撃を受けたのですが、若さ(というより子供だった)ゆえか「綺麗なままこんなに愛されて死ぬなんて良いなあ」などと変におませな考えがわいた事を覚えてます。
婆になり、やっとシビアに恋愛を捉えられる年となった今、やはり「愛するって怖い」と感じる次第です。
何故ならば、先の見えない今では将来の暮らしの設計を考えるより、その場の快楽(食事や趣味)を優先した方が現実的ですから。
さて、いつの時代でも、愛するゆえに悲劇が起きるケースは絶えません。
「惨めな結果を招いても、それはやはり恋だった」のでしょう。今どきのネタでは身につまされる問題が多いので、又昔のグラビアから哀しい恋物語を紹介します。
写真上の初々しい優しい表情の女性が、幾年も過ぎぬ内に写真下のふてぶてしいおばさん顔に変わったのは何故でしょう?
上の写真の夫、北村透谷が若干25歳で自殺してしまったからなのです。
北村透谷は「恋愛は人生の秘やくなり」(人生の秘密を解く鍵)と明治期に唱え、同時代の若い知識人に大きな影響を与えました。
透谷は写真の女性石坂ミナと恋愛し妻とします。
当時の人としては非常に学歴も高くプライドも強い二人で、特にミナは親の勧める結婚を振り切って年下の透谷と一緒になったのです。
ところが、繊細過ぎた透谷は実社会で暮らしていけず、命を絶ってしまいます。
おそらく、このミナさんは夫を死なせた女として謗られた上親にも見放され、一人で生きねばならなくなったのでしょうね。
その後の彼女の人生は知りませんが相当な困難があったと思うのです。
ミナさんは苦難の人生を歩んだでしょうが、同じような例でも、その後は平穏な一生を過ごした女性もいます。
それが天才画家青木繁の愛人、たねです。
青木は知識人好みの情熱的な絵を描く人で、今に残る名画『わだつみのいろこの宮』を描いてます。
画学生のたねは青木に夢中になって彼と同棲し男の子を産みます。
二人ともお互いを愛しながら、絵を描くだけでは暮らしが成り立っていかず、非常に困難な日々を送るのです。
青木は郷里の父の死に際し、実家の膨大な負債を背負って姿を消して二度と再びたねの下に戻ってきませんでした。
青木が28歳で他界した前年に、たねは同郷の男と結婚しました。そして7人の子をもうけた後83歳で亡くなってます。
彼女は果たして不幸だったのか?幸せだったのか?
と考えると、人生は不思議なものだと思わずにいられません。
写真は上から子を抱く青木繁、若い頃のたね、そして晩年のたねが青木との生活を思い出して描いた作品です。
最後の絵を見ると、落ち着いた魅力に満ちた作品です。人生は一概に語れないものとしみじみ感じます。
多くの人に影響を与える恋とは恐ろしくも非常な魔力を持つもの、「愛するって怖い」と改めて思う次第です。