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読書の森

紫姫の駆け落ち 最終章

陽が落ちても紫姫はじっと草むらで蹲っていた。
もう一時以上(今で言うと2時間)も、辺りは静まったままである。しかし、姫は元の場所に戻るのが怖かった。惨劇を目で見ていないだけに悪い想像ばかり募る。
大勢の討手が、目立つため大小の刀も持たず、鍬を担いだだけの飛雄馬を取り囲んで、よってたかって切りつけた事は容易に分かる。
到底飛雄馬は生きていまい。

彼の惨たらしい死体を見たら、気が狂ってしまうかも知れない。自分の為にこのような目に遭ってしまった男、この世で唯一自分を護ってくれていた男、その男を自分が殺した様なものだ。
彼女は現実を確認したくなかった。

しかし、、このまま朽ちる訳にはいかない。
姫は勇気を奮って元の場所に戻った。
そして、、、

辺りは何事も無かったように静かだった。人どころか獣の影も見えず、真っ直ぐに生えていた草むらが倒れて見えるだけである。
はっと気がついたのは自分の失踪は里人に極秘の事件だと言う事である。
勿論ここで斬り合いがあったなど人に知られてならないから全て隠蔽されているのだ。

姫は項垂れた。
紫姫は人から自分の出生の経緯を詳細に聴いてはいない。飛雄馬から両親が相次いで流行り病いにかかってこの世を去り、赤子の姫が残された、と聴く。お付きの乳母が不憫がって大切にして、丈夫に育ったとも聞く。
言わば命の恩人のこの乳母は姫が物心つく頃からいない。

多分、自分の出生には重要な秘密が隠されているのだろう。
それを知られると城主である叔父夫婦にとって非常に困る事になるのだろう。
ひょっとして両親は物狂いになったのだろうか?それゆえに叔父が命じて兄夫婦を殺させたのか?
それだとすれば、その時赤子の命も絶てば禍根を残す事もないだろうに。



ともあれ、何も分からない馬鹿娘のように無邪気そのものに見せるに限る、と年若くから
姫は考えていた。
城から遣わされた召使い達は、姫の幼児のような振る舞いを気づかない振りをして慇懃に仕えてはくれるが、本心は決して見せずひどくよそよそしい。
むしろ、時折り触れる里人の素朴な応対の方が遥かに実がこもって感じる。

住む場所、着る物、食べる物に不自由しない身であるが、がんじがらめに縛られた姫がホッと出来るのは、緑深い山だけである。
高井飛雄馬さえ、芯から自分の身を案じてくれているのも煩わしい時があった。

しかし、、、彼がこの世から消えたろう今、縛る者がなくてホッとするどころでない。暗闇を手探りで歩く頼りなさと不安がある。
姫は頼りなげに、誰も居ない叢を見た。当面必要な物を入れた大きな包みも消えて無い。ただ、目を凝らすと鈍く光る物があった。屈んで手に取って、飛雄馬がいつも腰につけていた印籠と分かった。ぱっくり口が空いて何も入っていないが、これが彼の形見となったのだ。
不意に姫の目から涙が流れた。
涙は後から後から止まらず、濡れたままの顔で姫は前を見て歩いた。
元に戻ってはならぬ。

とっぷり日の暮れぬ内にこの道を抜けよう。
残った僅かの路銀と乾飯が巾着に入っている。
これを頼りに国抜けをせねばならぬ。

「飛雄馬!
お前の仇は必ず私が討ってやる」
心の中で呟きながら姫は急な山道を下って行った。



それから一年後、紫姫は街道に立つ茶屋で健気に働いていた。

娘らしく肉がつき、以前より日に焼けていない為に肌の色も艶やかに変わっている。
彼女が、山を降りる途中で疲れ果てて倒れている所をキノコを取りに来た茶屋の主人の老爺が見つけた。

窶れて、全ての記憶を失っていた娘を親身に看病したのが老爺の妻である。
この親切な老夫婦のお陰で彼女は一命を取り止めた。
記憶を失くした、と言うのは実は彼女の虚言だった。そうしなければこの先生きられない、と判断したからだった。

子供に先立たれ孫もいない夫婦にとって、可愛らしい利発そうな娘は、自分たちが見つけた宝物に思えた。
此花と名付けて慈しみ、程なく此花は茶屋で健気に働く娘となった。
老夫婦は、無垢であるがそれなりの知恵のあるこの娘の素性はおろか、本当の歳も名前も知らない。

しかし里人は、記憶を失くしたとは余程辛い過去があろうに、可哀想な娘と、嘘のように善意で包んでくれていた。
此花は笑顔で黙って働くだけである。

16歳にして彼女は人の世の大半を知ったような気がした。
疲れ果てた自分も、このまま心地よい湯の様な場所で過ごせたら、それは確かに幸せというものだろう。しかし、と思う。多分そうはいくまい。

そして、秋が又巡って、峠に可愛い紫の菊が咲いていた。
ぼうっとそれを眺めている此花に、激しい痛みのような過去の記憶が蘇る。
此花こと紫姫の心に潜む修羅は誰にも見せられない。
いつか、きっとこの優しい幸せを捨てる時が来るだろう。私は暴れ馬だから。
それがいつか。「永遠に来ないで欲しいが」口に出して姫は微かに苦笑した。

紫姫、16歳。
彼女の行手に何が待っているのだろうか?

追記:
出来れば、この話を又いつか続けてみたいと思っております。





読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️

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