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読書の森

『ちむどんどん』 の時代

昭和47年、1972年5月15日に沖縄が本土復帰して50年、その記念に制作された朝ドラが『ちむどんどん』です。

ただ、そんな先入観を持たずにドラマそのものを単純に楽しみたい、と思う今日この頃。

朝ドラをとっても楽しみに毎日観てたその一つに同じく沖縄が舞台の『ちゅらさん』があります。2001年放映されてましたね。
純愛ものでした❣️

いつも感じるのは、南国の人ほど血が熱いなあ、それを隠さない人が多いなあ、という事です。
チムドンドンとは沖縄方言で血沸き肉踊るという意味でしょうか?ヒロイン暢子も熱血乙女であります。


暢子が7歳の時、大好きだった畑仕事の最中で、父親が突然心臓発作を起こし亡くなってしまった。
父親は仕事を拡げたいと多額の借金を残していた。
貧乏のどん底に落ちた一家。
借金を抱えた母子家庭で、皆明るく頑張って生きていく。

ここら辺が現代人に受け入れ難いところらしいです。「嘘くさい」と評判悪いんですね。
実は時代はもっと前ですが、我が一族(祖父の代)も借金が出来て一気に貧乏に落ちた時があるので、全然不自然に見えないのです。
サラ金が出来、過酷な追い立てを受けた時代と異なり、貸主が知人の多い昔は返済を猶予してくれる情けがあったのですよ。ホントなんです。なので、結構生きていけたのです。
バブル崩壊以降に人の情けの在り方がガラリと変化したと思います。

さてドラマに戻ります。
7年後。
兄の不祥事で就職先を追われた暢子ちゃん、亡き父親に教えられた料理の道を進もうと、はるばる東京に渡ってきました。

苦心の料理を披露して、やっと一流レストランに採用されて、喜び勇んだ顔が素朴でカワユイ。




仕事も決まって、落ち着く住処を見つけねばならぬ、沖縄出身のおじさんから紹介されたのが横浜鶴見区(下町です)料理屋の二階の貸し間。


この部屋の間取りが、私が学生時代に探した女子ばかりのアパートそっくりで、ドッキリしちゃいました。

沖縄料理店の主人夫婦は気さくでとても良い人たちです。
暢子は早速この店でも働き始める。
賑やかな家庭的な雰囲気で楽しそうであります。

ただし、馴染み客の若者達が呑んでお喋りしたり、笑ったり、踊り出したり、果ては酔いに任せて喧嘩したり、する情景は、今のコロナ社会から観れば犯罪ものでございます。
こういう時代は確かにあった事覚えてるので、この落差がイタイと思いました。

まさか、皮肉ってるんじゃないでしょうね?これは天下の公共放送で朝ドラ受けはし難いと感じました。

さて、暢子ちゃん、これからどうなるのだろうね?

1960年代70年代、ヒロインより経済的に恵まれてたと言える私ですが、ピッタリ共感出来る部分があって嬉しかったです。





さて、今日はインスタントでなくて超カンタン味噌汁を紹介します。
削り節(パックじゃない方美味しい)とお味噌と煮なくても良い具をお椀に入れて熱湯を注ぐだけで出来上がりですよ♪

結構イケる味です。


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