以前にも書いたが、中二の時尼に憧れた時期がある。
学校の帰り道、墨染の着物を着た若い尼僧を見かけた。
初夏の木立の中に立つ尼僧の姿は、はっとする程美しく感じた。
単に美しいというより、例えようもなく清らかで心が洗われる様だった。
この後私はどうしたかというと、本気で京都の尼寺で修行する道を模索したのである。
友達にも私は尼になりたいと言いふらした。
今思えば、幼い頃の両親の挫折や夫婦仲を見て浮世離れした尼の世界に憧れたのだろう。
虐めに遭った訳でも、勉強が嫌いな訳でもなく、大好きな級友も出来、勉強も面白かったのだ。
常に何かに憧れ、それに向かって情熱を注ぐ癖がやめられないらしい。
しなくてもいいのに、尼になれるかどうか当時の雑誌「女学生の友」の占いコーナーに投稿した。
写真同封、生年月日、住所も知らせるという今では信じられない誌面である。
読者欄は文通を求めていた人が目を通していた。
昭和34年(1959年当時である)。
言わば今のSNSの交流の様なものである。
違うのは他から覗かれる危険が全くない事だ。
その時私の手紙は
「私は脚が悪い女子中学生です。
実は清らかな尼さんに憧れています。
私は将来尼になれるでしょうか?」
だった。
それは誌面に載った。
ところが
「私は脚の悪い中2の少女です。
将来どういう道を歩めばいいでしょう?
尼になる事も考えました」
全然意味の違う文章になった。
そして占いの結果は
「あなたのカードはハートの9です。
家庭に入ると幸せで良い奥様になれるでしょう」
だった。
そのコーナーを見た読者が手紙を送ってくれた。
中には私同様脚の悪い人もいた。
文通を楽しむ内、尼になるという思いはどこかに消えていった。
占い通りにならなかったがそれはよくある事である。
これまでは記事を面白くする為に意図的に私の文章を変えたのかと思っていた。
しかし、今は文章を変えたのも占いの結果も編集部の思いやりではないかと感じる。
当時の女性は殆ど専業主婦の道を歩んだ。
私の同期の友は一人を除いて皆専業主婦である。
そういう世の中だから「奥さんが向いてる」と書けばだいたい当たる訳である。
短兵急に、特殊な道を決断する前に、普通の幸せをまず求めたらという心配りと捉えると、納得出来る。
赤裸々に事実そのものを伝えず、事実は曲げずに個人の進む道が広がる情報を流す、その方が優しい在り方ではないか。
読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️
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