「アイヌの人って色白でホリが深くて外人みたいに綺麗で良いなあ」と言った程度の自分の認識がいかに甘いものか、よく分かった。
いずみが地肌が白いのを嫌がってわざわざ日焼けしたり、母のファンデーションを借りたりしていたのも初めて知った。
「人種差別って本当にあるのね」
かっての土地一番の名主で、名字帯刀を許された家柄など、どこも伺えない敏恵一家の生活だが、差別を感じた事は皆無だった。しかし、世の中には学校では決して習う事の無い真実が実際に存在するのだ。
敏恵が「驚天動地」と言う言葉を知っていたら、まさにそれだった。
そして、、さらに月日が流れて、伯母たち親戚の援助もあって敏恵が無事大学入学した時、いずみはアルバイト先だった出版社の正社員として忙しく働いていた。
その年の暮れ、大学で学園紛争が没発した。財政不足から授業料を上げる予定の学校理事会に真っ向から現役学生が反対運動を起こしたのである。
「だけどさ、自分たちの授業料は現行通りなのよ。安く収まるの。高くなる授業料を承知で受験するんだからいいじゃない。それなのにどうして暴力的なデモするのか。私わからないんだ」
(馬鹿!)と同級生から言われそうで、決して言えない本音を敏恵はいずみに電話で漏らした。
「ねえ、敏恵ちゃん、私が大学行きたくても行けないの分かって言ってるの?」
「あゝ」
「まあ常識で考えても、お金が上がるからその大学受けないって学生も出るね」
「そうか」
「それだけじゃないけど、、。一体敏恵ちゃん、何やりたくて大学へ行ったのよ」
「だから勉強よ!」
「何の勉強?」
「だからさ、デモじゃないよ」
「もういい、、、」
ガチャンと電話が切れて敏恵は驚いた。
いずみが何故怒ってるのか、よくわからない。ともかく大学を出て教師になるなら、いずみの方がずっと向いてるのに、それが叶えられないから、怒ってるのだと敏恵は思う事にした。
先の見えない大学紛争の中、敏恵はまごつくばかりだった。「私みたいなの、ノンポリと言うんだわ」友達と学生街の茶店で取り止めのないお喋りをしながら敏恵はデモに参加しない自分が時代遅れみたいで劣等感を感じていた(ビックリなさる方もいるでしょうけど、1960年代後半はそんな時代でした)。
幸い高度成長の恩恵を受けて家の経済状態は落ち着いていて、これ以上の人生の波乱を敏恵は求めていなかったのである。
ところが、突然舞い込んだいずみの手紙は敏恵の心に大波乱を起こした。
乙女チックな便箋が好みのいずみには珍しく白無地の封筒に白無地の便箋である。
そこには
「もう会えない。行先は探さないで下さい。幸せを祈ってる」と言う趣旨の内容が短く記されているだけだった。
声が聞きたいのに、いずみの家は電話を持っていない。近所の人の電話を呼び出し電話にしていたのだ。
慌てふためいた敏恵は、いずみの会話によく出る高校の先輩に電話をかけた。
古城と言うその人の電話も大家に繋がる呼ぶ出し電話だった。が、待たされた挙げ句その人が出た時、敏恵は卒倒する程驚いたのである。
年上の落ち着いた女性を想像していたのに若い男の声が彼女の耳に響いてきたからだ。
「いずみは今は勤めを辞めて、正式に自分の妻である。自分は政治信条が政府と異なる為に追われる身になっている。
これからいずみと二人で某所で暮らす事になる」
よく通るしっかりした声だった。
「そんな!嘘でしょ」
「嘘ではありません。とりあえず籍だけ入れました」
「勝手です。いずみさん出してちょうだい!この悪人!」
男は笑い出した。
「悪人とは言えないと思います。法律に触れる事は何一つ今までにしてないよ。ただ自分はある新聞社に勤めていてそこが反政府と言われてるだけだから安心してください。
残念だけど彼女はこの電話に出られない。別別に行動して目的地で落合う事になってるから彼女はここにいませんから」
「もう!、、、(こんな残酷な奴消えちゃえ!)」
「すみません。急いでるから」
「お願いだからいずみさんどこに行くのか、教えて頂きたいのです」
「あなたにもいずみにも悪いけど、何処だとも言えない」
「最後のお願いです」
「何?」
「私が昔上げた色ガラスの玉そこに一緒に持っててくださいと伝えて!お願い」
「、、」敏恵は微かな笑い声が聞こえた気がした。
そしてガチャン!
無情な音を立てて電話は切れた。
その後、過激な学生運動の話題がマスコミを賑わせて、運動家の何人かは海外逃亡したと言うニュースが続いた。
敏恵は寒い気持ちでニュースを受け止めるとともに、何かいずみは全然関係ない日本の何処かで平和に暮らしてる気がした。
ただ前歴を知られたくないだけでないか?ともかく、いずみの恋が実ったのだとも思った。キラキラ光るガラス玉が本物の宝石に変わったみたいだ。
「ドラマチックな一大ロマンスだわあ」
敏恵は能天気に思っていたのである。
そして、、その後この夢見る敏恵の恋はどんなものだったか?ドラマチックなものだったのだろうか?
それは又別の物語になる。