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梨華は隆之と交際を始めた後、自分が乳がんに罹っている事を告知された。
最初は薬の服用で治療したが、不安感が絶えなかった。
もし乳房の一部でも切除したら、女として致命的な欠陥と彼女は思い込んだ。
この事を隆之に絶対知られたくなかった。
そうなる前に隆之との確かな約束が欲しかった。
しかし、焦って近づくほど、隆之の心は離れ、奈津美という新鮮な女性に夢中になっていく。
とうとう、隆之から別れ話を出された時自殺を決意した。
本音を言えば、隆之自身にそれほど未練がある訳でない。
しかし、今捨てられたなどと言う噂は立てられたくない。
乳がんが進行した場合、尚更女としての魅力を失う。
梨華の強いプライドは、乳がんの患者として生きる事に拒否反応を示した。
同時に自分を裏切った隆之や奈津美に当てつける思いもあった。
早期ガンの内に治療するという無難な選択肢を捨ててしまったのだ。
K峠の路上に薬を飲んで横になる。
深まる秋の夜間、凍死する可能性はあるだろう。
そうでなくとも、夜人けのない道路を通る車は一気に走って、横たわる彼女を轢いてしまうに違いない。
Y県に行くには近道なので、夜間車の往来は結構あるのだ。
そこまで彼女が考えたにしても、まさか自分の愛車に轢かれて死ぬとは想像しなかっただろう。
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春の休日、柔らかな雨が降る中で、隆之と奈津美は傘を並べていた。
梨華の死の真相を知って、二人は梨華に同情は出来ないものの、哀れな感じがした。
結局、自分たちが彼女を殺した様なものだと後味の悪い思いをした。
会社での二人の立場はひどく微妙だし、このまま交際を続けるのは酷く勇気がいる事だった。
だからと言って、別れるつもりも、会社で気まずい思いをしながら勤め続けるつもりもなかった。
付き合うほどに、これほど気の合う相手と又巡り会えるとは思えなかった。
出世や金より小さな倖せを大切にしたかった。
共に退職し、ワンランク下の会社だが過去を知らない職場に入り直した。
結婚は梨華の一周忌が済むまでお預けとした。
ただ、既に一緒に暮らしている。
「雨か。巷に雨の降る如く我が心にも雨が降る」
「ええ?そんな気持ちなの」
「違うよ。雨は雨でも愛を育てる雨さ」
二人は笑って一つの傘に入った。