土曜日の夜 名古屋市の金山での
「しまじろうコンサート」に娘が子供二人を連れてゆくというので名古屋の夜なんて行く機会が無いので私は3人の車に乗り込んだ。
急に決めてチケット購入したようで私の分はないし観たいとも思わない。
途中からはJR東海道線に乗ったのだが2歳児 電車に乗るのは初めて。
切符購入やら駅の風景などいつもと違った体験に大はしゃぎ。
会場まで送ってから一人でゆっくりな時間を楽しみました。
アスナル金山店
「明日に向かって元気になる!」からアスナル
金山駅北口に立った時真正面に目に入った長谷川ビルのネオン
よくわからなかったが家に帰り調べて納得
「長谷川ビル」を「木」、「お店」を「お花」、
「はしご酒をする女性」を
「花の蜜を求めて飛びまわるミツバチ」だって。
土曜日の夜を楽しむ人々でいっぱいだった。
金山駅に立った時急に思い出しました。
何年も前、母とここに来たんだ、と楽しかった思い出がよみがえった。
母が何歳までここの駅に降りたんだろう?。
母の目に合う眼科があって電車や地下鉄を利用して眼科に6か月ごと?それとも4か月ごと?通った・・・。
金山駅では乗換駅なのだが診察が終わってほっとした時この駅の二階に広がる飲食店街で食事した。
栄の方に行き松坂屋で食事したこともあってすべてが楽しい思い出の場面です。
母は80代だったけど最初は私が行ってみたい白鳥公園や徳川園にも付き合ってくれた。
秋には名古屋城公園で菊の展示を鑑賞したこともあった。
公園にてお昼を摂ったことも何回かあった。そのすべてが思い出される。
次第に長距離歩くことが出来なくなり「あと何回来ることが出来るかなぁ」と口に出すようになった。
朝、 6時半頃に家を出てきて電車、地下鉄を乗り継ぎ県外の眼科に通っていたのだから頑張ってくれたのだと思う。
今年の1月亡くなるまで新聞は読んでいたし(時々読んでいるとぼ~と霞んできたりはしてましたが)
ミミズが這っているような文字ですが日記も書いてました。
全く内容はあちこち飛びますが先日実家に行った時 今年の元旦の朝に記した日記の母の文字を見つけました。
体のどこの部分も衰えていく高齢者の私、布団の中で長いことスマホ見てごそごそ・・。
こんな生活いけないなぁ…と思いつつもやってます。
母は家の前に広がる遠くの山を見てそのてっぺんの木を眺めたり
私が小学生の頃から 夜の星を眺めてはあれが何星だとか今は明けの明星がどの辺だとかよく言ってました。
私全く関心なくていつも上の空でした。そんな生活をずーと続けていた気がします。目には良かったと確信です。
眼科の先生が母によく話してました。
「濡らして絞ったタオルをレンジで温め目に当てるとよいよ。」と。
少し前に NHKあさイチでやってましたね。レンジでチンの濡らしたタオルは直ぐに冷たくなるのですが温めたものをビニール袋に入れると冷めるのがゆっくりだと。
”よいこと教えてもらった”と思ったものです。
いつも内容がまとまらないブログです。<m(__)m>