私は戦後生まれ。
両親は大正生まれで 二人とも7人兄弟。
母方は 3番目に生まれた母の弟が長男で確か昭和5年生まれ。
戦争に行かなくて良かったし農家だったこともあり戦争中
それなりに不自由したが食料はあったのではないかと想像できる。
父方は 父は次男 そして下に男の兄弟が二人続く。
そして父は北方に行っていた。
でも一度として戦争について丁寧に話してもらいう事もなくまた私も
戦争について聞こうともせずして終わってしまったことを後悔している。
高校生の時 戦争について書いた本を読んで夏休みの感想文として出したが
それだけで終わってしまった。
一度私が若い頃 母が
「戦争に行った人はあまりにも残酷な場面を体験しているから
何も話さない事が多いよ」
言っていたことはある。
数年前から 昔ふと父が
「霧の中を逃げてきたんだよ」と言ったような言葉が頭の中に
浮かび気になりだした。
もしかしたら 話したかったときがあったのか?
私が聞く耳を持っていなかったのかも。
弟に聞くと 戦時中北方 アリューシャン列島キスカ島に行っていたと聞いた。
調べてみると簡単に言えば
アラスカ半島に近いアリューシャン列島のアッツ島とキスカ島を
1942年6月大日本帝国は攻略し守備隊を配備。
1943年5月約11000の兵力でアッツ島に上陸したアメリカ軍に
3000弱の日本兵力は補給をたたれ奮戦したものの最後は玉砕。
そして約5000名のキスカの日本兵はアメリカ軍の監視をかいくぐり
守備隊全員で 無傷で濃霧が発生した中を撤退してきた。
これが
「太平洋奇跡の作戦キスカ」 1965年映画化された。
この映画を見に父は映画館に出かけたと弟に聞いた。
その約5000名の中に 私の父もいたということです。
キスカから帰ってきてその後終戦までどこに居たのでしょう。
一度も戦争の話を尋ねることもなく
また父も話すことなく終わってしまいました。
父には多く兄弟があり戦争から帰ってきて
戦後何もないところから必死で働き続けてきたのではないかと思えます。
この父があり 今の自分があり
先人の苦労の上に今の平和な自分たちがあるということが有り難く思えます。