大学の授業で最もいやだったことはアウトプットだったように記憶している。
今思い返しても入学して2,3ヶ月は「何も話せない焦り」をいつも感じていた。
海外未経験の純国産組にとってリスニングの重要性は今ほど強調されておらず、
読み、書き、文法のかなり偏った勉強をしていた。
そして、大学へ。その場で英語を使い、意見を求められる授業は魅力的ではあったが、
なにぶん英語で話す癖ができていなかったため えらく苦労した。
しかも入ったクラスはもっとまずかった。選抜テストの結果が思ったよりもよく
帰国子女組に入れられたのだ。
授業初日、教室には何人かが談笑している。どうやらこれまでの生活を聞いているらしかった。
輪に入ろうと思って近づくと、
「どこに行っていたの?」と質問された。
「夏期講習だけなんだけど、代ゼミに通った。」と答えたら 一同「・・・。」数秒の沈黙があった。
その後爆笑。質問は「これまでどこの国に行った経験があるの?」の意味だった。
ここは帰国子女クラス、なるほどなあと思った。ベネズエラにアブダビ、プエルトリコ、コリエンデスなど
「どこですか、そこ?」で育った人ばかりで英語が使えないと生活できない環境だったからだ。
授業はすべて英語だが、当然 彼らはとても流暢に話すし担当講師と議論もできる。
自分はというと議論に入ろうにも 日本語で考えて、適する英語に変換して、出力して言葉に出すまでに
相当時間がかかってしまい、結局 何もいえない人となってしまっていた。
焦燥感と不甲斐なさを感じて なんでもかんでも英語にしてみる練習を行った。
そうこうしているうちにわかったことは 「100%を80%に落としてコアの部分だけを簡単な英語にすればよい。」
「適する表現が思いつかなければ説明的に言えばよい。」ということ。
そういえばJRの電光掲示板には「人身事故による遅延」はdelay accident となっているし
「架線に異物付着」もdelay accidentとなっているではないか。
要は列車が遅延していることを示せればいいのだから なるほどと思ってしまう。
「以心伝心」だってI can understand what you mean without any words.で通じるはず。
日常会話程度は突然にいえるようになった気がする。アウトプットはインプットがなければ
絶対に無理ではあるが、少しの練習でいきなり言えるようになった自分に驚いた。
赤っ恥は上達の始まりなのだ。
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