今 「心臓に毛が生えている理由」を再読している。
歯に衣着せぬもの言いと鋭い洞察が興味深く睡眠不足気味になること必至である。
通訳や翻訳者の書いたエッセイは論旨がわかりやすいということとことばの使い方、さらには
元々の語彙力に圧倒されるので半ば尊敬している自分もいるような気もする。
話の一つに忘れられないほどおいしかったハルヴァといわれるお菓子のくだりがある。
その後同じ味を求めて調べるのだが、トルコ密飴は似ていて非なるもので子供の頃 友人から
さじにすくってもらった一口の味が忘れられないという内容だった。
読んだこちらが無性に食べてみたくてしょうがなくなった。そのくらいの描写力なのだ。
彼女は語学の勉強は最低でも母語とは別に2ヶ国語以上学習するべきで
理由は複数の言語を知っているとものごとを俯瞰的に見ることができるからと書いていた。
確かにことばイコールその国の文化なのだから 異文化理解には非常に役立ち、個々人のものの考え方にも
幅というか、受容できる範囲が広がる気がする。
そして実際国際的に見ると通訳や翻訳者は2、3国語以上話せることが条件のところも多く、
日本語はその言語体系が違いすぎるため例外的に第二言語だけでも許されていると考えられている。
「通訳ができるくらいの最低2言語。」
気が遠くなる。通訳ガイド試験だって 自分には大変なハードルだった。花粉症に、骨粗鬆症、菊だのの書けなそうなスペルを
必死で覚え、ディケンズや縮みの文化を原書で読み、天声人語を英訳して、高校の日本史を通読し、
「いくやまいまいおおくまやい」と歴代総理大臣の頭文字を覚え、国立公園と国定公園の正式名称の
漢字を何度も書いて覚えた勉強、さらにぶつぶつ見えるものを英語で表現する練習をしたりと課題満載だった。
資格の難易度は失墜しただとか、意味がないという声も聞かなくはないが難しいと思う。
通訳と比較する人がいるので困るが通訳ガイドは通訳と違って黒子になってなんかいられない。日本をセールスするのだから。
(時には通訳をすることもあったりするが)だから通訳のほうが難しいとかはいえない。ベクトルが違っているものを
比較するようなことはできないのと同じ。
少なくとも自分の周りの通訳ガイドの方々のことばの使い方は不断の向上心が生んだものだと思う。
そして忘れてはならないのは、合格者たちは語学、日本の地理、歴史、一般常識はもちろん
ホスピタリティのある存在であること。
話してみてもやっぱり楽しい。初対面でもすぐ打ち解けられる雰囲気がある。
なんとなく米原さんにもごくたまに出ていたテレビ番組からそんなにおいを感じていたのだが
鎌倉で開催していた米原万里展を観にいったとき、かつて添乗員や通訳ガイドをやっていた時代があったことがわかった。
なるほどホスピタリティつながりだ。
好きな作家が自分とつながりあるというのはうれしいものだ。少しではあっても近づけたような気になれる。
米原さんには仲良しの通訳者が何人かいて集まると機転のきいた抱腹絶倒で笑いの絶えない楽しい場になったそうだ。
イタリア語通訳の田丸さんは書籍を出していて
即読破。通訳に関する話からシモネタ、旅行記まであっという間に読んでしまった。
さらに英語だか仏語だかの重鎮名人級通訳がいるとあった。この方、どんな人なのだろう?
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