五、「教会とわたしたち」(300)
4.近代の教会の夜明け
―宗教改革―スコットランド
(そのため、スコットランド改革教会はその将来が安定したかに見えたがそうではなかった。幼年ジェームスが1666年7月に戴冠式を挙げて即位し、マリー伯がその摂政となったので、かえって前皇女メアリーの残党たちを刺激した。その摂政マリー伯に安心できない社会状況がなお続いた。マリー伯によってその地位を追われたボスウエルハムのハミルトンが、仲間と共にマリー伯暗殺の謀略をめぐらし、1570年、ついに彼を暗殺した。この突発事件は全国民を驚かせた。マリー伯の死は全国民によって痛く惜しまれ、彼の敵すらも彼の死を惜しんだといわれるほどであった。(ここまで前回)
またこのことは、当然、ノックスに精神的打撃を与えたことはいうまでもない。 そのころから、彼の健康は著しく衰えたといわれる。その年、すなわち1570年10月に彼は、軽微な脳出血に見舞われた。ノックスはエディンバラを去って、静かな聖アンドリューズで養生することとなった。彼はその地でおよそ半年間、半身不自由に悩んだが、それでも宣教をやめなかった。そのときの大事な仕事は、根強く残っていた教会のカトリック的監督制度の変革であった。改革派的な会議制度の形式に全体として変革させるのに成功したが、なお無秩序な混乱が残り、忙しく過ごした。彼のその後の健康は徐々に悪化し、~(つづく)