日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2018-03-31 13:47:40 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(454) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後」

初めに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その94)

  最終篇に入ります。

 第二十二編 神の国永遠の浄福

24.この世は裁きの下にはあるが、しかも創造主は祝福をもってこれを満たしておられる。

~あの御国に定められた者について、使徒はこう言っている。「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちのすべての者のために死に渡されたが、どうして、御子のみならず万物をも賜らないことがあろうか」(ローマ八・三二)。この約束が成就する日には、わたしたちはどのようなものとなるであろうか。キリストの死がかくも大いなる報いをわたしたちにもたらすとすれば、あの御国においてはどんなに大きな祝福がわたしたちのものとなるであろうか。前回はここまで)人が罪なくなり、もはや罪の下にはなく、これに屈することなく、これと戦う必要さえなくなって、平安と徳行との中に全き者となるとき、人間の魂はどのようなものとなるであろう。

 神の知恵が何の問題もなしに、至上の浄福をもってその源泉にまで溢れ渡るそのところでは、誤りも悩みも抜きにしたすべてのものの知識は、何と偉大で・美しく・確かであることだろう。からだがすべての点で霊に従い、これによって十分に養われて他の何物をも必要としないとき、それは何と完全なことであろうか。それは確かに肉の本体を有してはいるが、その罪過は少しも残らず、したがって「生まれつきのまま」ではなく、霊的なものとなるのである。

25.前述の~(つづく) (「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2018-03-31 13:45:40 | 大分中央ウィークリー

創世記25章12節である。「サラの女奴隷であったエジプト人ハガルが、アブラハムとの間に産んだ息子イッシュマエルの系図は次のとおりである。」という。アブラハムがかつて、百歳のときに、90歳の妻サライとのあいだに男の子イサクを与えようと主なる神が告げられたとき、天地が引っくり返るような喜びと驚きを感じつつ、もう一つ心配があった。それはハガルとの間に生まれたイッシュマエルの行く末であった(17:18)。

 

その心配に答えて、主なる神が「イシュマエルについての願いも聞き入れよう。必ず、わたしは彼を祝福し、大いに子供を増やし繁栄させる。彼は十二人の首長の父となろう。」と。といって、特別な約束を与えておられた。その約束によって、主なる神がアブラハムの死と共に、今、お答えておられた。それがここにいう。「アブラハムとの間に産んだ息子イッシュマエルの系図は次のとおりである。」という。約束の実現である。

 

13節である。「イシュマエルの息子たちの名前は、生まれた順に挙げれば長男がネバヨト、つぎはケダル、アドベエル、ミブサム、」という。17章20節で、イシュマエルの子孫に与えた神の約束は、その通り実行されていくのであった。まず4人の子息が紹介される。聖書の中に出てくる名は、「ネバヨテ」と「ケダル」である。ネバヨテは3ケ所にある。創世記では28章3節と36章3節、そしてイザヤ書60章7節である。しかしこのイザヤの方は、その同じ名前が一か所だけで、結びつけるのは危険である。

 

「ケダル」はネバヨテと一緒にイザヤ書60章7節に出て来るだけでなく、同じイザヤに21:16以下、42:11、その他エレミヤ2:10,49:28、詩編120:5などに出てくるところによれば、その歴史的長さは不明であるが、有力な部族として存在したと推定される。


牧 会 通 信

2018-03-31 13:39:44 | 大分中央ウィークリー

ダンテ(1265-1321年)の「神曲 地獄」編 19歌(その12)

◯だからお前がここにゐるのは当然の刑罰なのだ。あくどく奪ひ取つた富、お前をカルロに対してますます大胆にさせた金を、御大事に護るがいいぞ。

 お前があの陽気な世界で握つてゐた至高の鍵にたいする敬意がここでもわたしを妨げぬなら、

 わたしはもつと容赦ない言葉を使ふだらう、お前たちの強欲は世界をだいなしにしてゐるからだ、優れたものを踏み躙(にじ)り、邪悪なものを持上げて。前回はここまで)

◯あの福音書の記者は、水の上に座る女が王たち相手に売淫するのを見たとき、お前たち牧人のことを予見したのだ。

 七つの頭で生れたあの女は、善徳がその夫に好まれてゐた間は、自身の十の角から強くする力を得てゐた。

 お前たちは金と銀の神を造つた、お前たちと偶像崇拝者にはどんな違ひがあるのだ、あのものたちが一つの神を、お前たちが百の神を崇拝してることを除けば。(つづく)

 

◯本日、4月1日イースター主日礼拝日の日本聖書協会の「聖書愛読暦」

の主題は「復活の信仰」という。聖書はマタイ28・1~10。その1節、「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明

け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。」といいます。墓のそばで、天使に出会って、そ

の天使から、その二人に、イエスが死者の中から復活して墓の中の、「ここにはおられない。かねて言われていたと

おり、復活なさったのだ。~」と。「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び」と。「恐れながらも」が大事。

写真は3月28日撮影の大分城址公園の桜が満開となった。


プロテスタントとカトリック

2018-03-17 17:42:58 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(452)

 5.近代から現代へ(宗教改革とその後」

初めに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その92)

  最終篇に入ります。

 第二十二編 神の国永遠の浄福

24.この世は裁きの下にはあるが、しかも創造主は祝福をもってこれを満たしておられる。

 飢えを満たすべく何という豊かな食物。何とさまざまな種類のあることだろうか。それは自然の豊かさによって与えら前回はここまで) れたもので、料理人の腕と努力の作り出したものではない。どのような場合にも、健康を保護し回復するための医術。昼と夜の交代は何と楽しいことであろうか。そよ風の涼しさ、植物や獣からは何と多くの衣料が取れることか。だれがこれらの恵みの賜物をすべて数え上げることができようか。

いまはわたしはただ思いつきで数え上げただけであるが、もしもこれらの恵みをすべてことごとく論じつくそうとするならば、とてもその煩わしさに堪えることはできないであろう。そしてこれらすべては、祝福の中にある者たちへの報いではなくて、さばきの下にある人類への慰めである。これらにさえもかくも多数でかくも偉大であるとすれば、〔まことの〕報いはいかばかりであろうか。神が死へと定められた者に対してさえも、このようなものすべてを与えられたとすれば、生命へと定められた者に対しては、何をお与えになることであろう。そのためにはこの悲惨さに満ちた世において、独り子を苦しませ、死なせてくださった神が、あの祝福された生においてはどのような恵みをお与えになることであろうか。あの御国に定められた者に(つづく)(「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2018-03-17 17:40:55 | 大分中央ウィークリー

創世記25章10節である。「その畑は、アブラハムがヘトの人々から買い取ったものである。そこに、アブラハムの妻サラと共に葬った。」という。ここに「アブラハムの妻サラと共に葬った。」というから、サラが埋葬したときは、23章1節に「サラの生涯は百二十七年であった。」といわれている。その時アブラハムは、百三十七歳であったというから、その墓では、アブラハム時代の一年の数え方で三十八年ぶりの埋葬になる。

 

問題は、24章1節に「主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた」とあるから、その墓があった場所は、23章19節に、カナン地方のヘブロンであるから、これは現在の地理学的な感覚でよい。イシュマエルは遠くに離れてシナイ半島のアカバ湾近くの「パランの荒れ野に住んでいた」というから、少なくとも400キロも離れている。その様な遠方から埋葬のために来ていたということは大いなる祝福であった。

 

11節である。「アブラハムが死んだ後、神はイサクを祝福された。イサクは、ベエル・ラハイ・ロイの近くに住んだ。」と。この「神はイサクを」の「神」を「エロヒーム」といい、6節までとは異なる。資料説からいえば、この7~11節前半まではP(祭司)典であるから、「神」を「エロヒーム」の言葉で表す。従って、編集資料の違いであって祝福の内容に区別がない。アブラハムへの祝福と神の契約の全面的継承である。

 

アブラハムへの三重の契約は、創世記17章1~14節である。4節、「多くの国民の父となる」こと、7節「このカナンのすべての土地を、~永久の所有地として与える」こと、7節「わたしは~あなたとあなたの子孫の神となる」ことの、これら三つです。彼、イサクはこれらの神の契約をそのまま継承せねばならない。責任重大であった。(次回に続く)