五、「教会とわたしたち」(454) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後」
初めに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その94)
最終篇に入ります。
第二十二編 神の国永遠の浄福
24.この世は裁きの下にはあるが、しかも創造主は祝福をもってこれを満たしておられる。
~あの御国に定められた者について、使徒はこう言っている。「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちのすべての者のために死に渡されたが、どうして、御子のみならず万物をも賜らないことがあろうか」(ローマ八・三二)。この約束が成就する日には、わたしたちはどのようなものとなるであろうか。キリストの死がかくも大いなる報いをわたしたちにもたらすとすれば、あの御国においてはどんなに大きな祝福がわたしたちのものとなるであろうか。(前回はここまで)人が罪なくなり、もはや罪の下にはなく、これに屈することなく、これと戦う必要さえなくなって、平安と徳行との中に全き者となるとき、人間の魂はどのようなものとなるであろう。
神の知恵が何の問題もなしに、至上の浄福をもってその源泉にまで溢れ渡るそのところでは、誤りも悩みも抜きにしたすべてのものの知識は、何と偉大で・美しく・確かであることだろう。からだがすべての点で霊に従い、これによって十分に養われて他の何物をも必要としないとき、それは何と完全なことであろうか。それは確かに肉の本体を有してはいるが、その罪過は少しも残らず、したがって「生まれつきのまま」ではなく、霊的なものとなるのである。
25.前述の~(つづく) (「神の国」出村彰訳)