日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2016-06-29 21:57:29 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(368)    近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽として、アウグスチヌス著「神の国」から引用(その9)

 5カトー(ローマ文人)の見解によれば、占領した都市を略奪するのは、戦いの常であった。

 6 ローマ人でさえも、彼ら自身を征服した町々の神殿を惜しむことはなかった。

 7 ローマの略奪において現に起こった(前回ここまで)ような残忍行為も、戦争の慣例に従ったまでのことであった。しかし、もし憐憫が示されたとすれば、そ

れはキリストの御名の力に帰せられるべきである。

 ローマ市における先ごろの災害の間に加えられた破壊・殺人・強奪・放火・残虐行為など一切は、戦争につきものの慣習に従ったまでのことであった。しかる

に、これまでのならわしを一変させるような全く新しい事態が生起した。それは蛮族たちの狂暴さが和らげられ、彼らが寺院を選び出してこれを特別扱いにし、そ

こに溢れるほどに集まった人々の生命を助けたという事実である。そこではなにびとも殺されず、奴隷として拉し去られることもなかった。このようにして、多くの

者が敵軍の慈悲によって解放された。残酷な敵によってさえ、一人も殺されず捕囚ともならなかった。これらすべてはキリストの御名のゆえであり、キリスト教へ

の回心のゆえである。このことに気づかない者は盲目であり、気づきつつも感謝しないのは忘恩の徒である。だれにせよ、他の人が感謝しようとするのを押し止

める者は、気が狂っている~(つづく)(教団出版「神の国」出村彰訳1968


聖書研究

2016-06-29 21:50:05 | 大分中央ウィークリー

創世記23章10節である。「エフロンはそのとき、ヘトの人々の間に座っていた。ヘトの人エフロンは、町の門のそばに集まって来たすべてのヘトの人々が聞

いているところで、アブラハムに答えた。」という。こういう取引の成立の要は、売買を希望する側の心の問題である。何よりも誠心誠意という心が大事であ

る。 

「町の門のそばに集まって来た」とは、この近東地域の慣習として町の門のそばは、町の共通の事柄についての協議と集会の場所であった。また「人々が聞

いているところで」というのは、既に全員で話し合った後であることを伝へようとしているところである。従って、「アブラハムに答えた。」とは、話し合った結果

を、多くの証人の前で、公的なものとして伝えようとしている。まさに厳かな雰囲気であった。

 

11節である。「どうか、御主人、お聞きください。あの畑は差し上げます。あそこにある洞穴も差し上げます。わたしの一族が立ち会っているところで、あなたに

差し上げますから、早速、亡くなられた方を葬ってください(口語訳「あなたの死人を葬りなさい。」)という。8節でも書きましたが、日本語翻訳として「亡くなられ

た」は不適切である。 

「差し上げます」は無償でではない。「売却します」の婉曲的用語であって、アブラハムが「譲っていただきたいのです」といったのと同じ意味で、ここでは快く売

りたいという意味の売買の常等語である。「売る」という代わりに、「与える」というのと同じで、買う人の心を傷つけないで済むことになる(フォン・ラート)。日本

語でも、売買が成立する状況では「差し上げます」というときがしばしばある。


牧 会 通 信

2016-06-29 21:46:12 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)   ダンテの「神曲 地獄」編 第13歌(カッコ内は筆子、その16)

◯それからわたしの先達はわたしの手を取り、血を吹く折れた傷口によつて、哭(な)き呻(うめ)く潅木のそばへ連れていつた。

「おお、ヂャコモ」、とそれは言つた、「ダ・サント・アンドレア(ヂャコモ接合の名、トッポで戦死)このおれを防具にしてなんの役に立つのだ?お前の罪深い暮しぶりに対しておれにどんな責任があるのだ?」

師はその潅木を見下ろして立止まつたとき、かう言つた、「そんなにも多くの傷口から血とともに悲痛な言葉を吹き出す、お前は誰だつたのか?」(前回ここまで)

◯すると答へた、「このやうにおれの葉をおれから分離した、この無法な破壊を ちやうど来て見た霊たちよ、 (注)「都市」はフィレンツェ

どうか葉をこの惨めな潅木の下に集めてくれ。おれは最初の守護神をバティスタに変えた、あの都市(注)のものだつた、そのために

あの守護神はその技術であの都市をずつと惨めにし続けるであろう、アルノ河の橋の上にまだその像が残されていないなら、(つづく)

 

◯本日は、2016年6月26日は第二十六主日、三位一体後第五主日となる。日聖協「聖書愛読こよみ」は「主を喜ぶ」という主題である。聖書はルツ4・13~

17。その14節「女たちはナオミに言った。『主をたたえよ~』」と。子が生まれ、その名をオベド、その曾孫がダビデである。主の計画は計りがたい。

◯写真は、6月22日、長崎伝道委員会問安のため、JR大分駅5時21分発で出発、長崎本線、肥前鹿島駅で大雨のため不通、代行輸送バスに乗換え。

写真顔、名古屋義弘先生。AN


プロテスタントとカトリック

2016-06-27 20:06:07 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(368)

近代から現代へ(宗教改革とその後)   はじめに近代への萌芽として、アウグスチヌス著「神の国」から引用(その9)

 カトー(ローマ文人)の見解によれば、

占領した都市を略奪するのは、戦いの常

であった。

  ローマ人でさえも、彼ら自身を征

服した町々の神殿を惜しむことはなかっ

た。

  ローマの略奪において現に起こっ

(前回ここまで)ような残忍行為も、戦争の慣例に従ったまでのことであった。しかし、もし憐憫が示されたとすれば、それはキリストの御名の力に帰せられ

るべきである。

 ローマ市における先ごろの災害の間に加えられた破壊・殺人・強奪・放火・残虐行為など一切は、戦争につきものの慣習に従ったまでのことであった。しかる

に、これまでのならわしを一変させるような全く新しい事態が生起した。それは蛮族たちの狂暴さが和らげられ、彼らが寺院を選び出してこれを特別扱いに

し、そこに溢れるほどに集まった人々の生命を助けたという事実である。そこではなにびとも殺されず、奴隷として拉し去られることもなかった。このようにし

て、多くの者が敵軍の慈悲によって解放された。残酷な敵によってさえ、一人も殺されず捕囚ともならなかった。これらすべてはキリストの御名のゆえであり、

キリスト教への回心のゆえである。このことに気づかない者は盲目であり、気づきつつも感謝しないのは忘恩の徒である。だれにせよ、他の人が感謝しようと

するのを押し止める者は、気が狂っている~(つづく)(教団出版「神の国」出村彰訳1968

 


聖書研究

2016-06-27 20:00:52 | 大分中央ウィークリー

創世記23章10節である。「エフロンはそのとき、ヘトの人々の間に座っていた。ヘトの人エフロンは、町の門のそばに集まって来たすべてのヘトの人々が聞

いているところで、アブラハムに答えた。」という。こういう取引の成立の要は、売買を希望する側の心の問題である。何よりも誠心誠意という心が大事であ

る。

「町の門のそばに集まって来た」とは、この近東地域の慣習として町の門のそばは、町の共通の事柄についての協議と集会の場所であった。また「人々が聞

いているところで」というのは、既に全員で話し合った後であることを伝へようとしているところである。従って、「アブラハムに答えた。」とは、話し合った結果

を、多くの証人の前で、公的なものとして伝えようとしている。まさに厳かな雰囲気であった。 

 

11節である。「どうか、御主人、お聞きください。あの畑は差し上げます。あそこにある洞穴も差し上げます。わたしの一族が立ち会っているところで、あなたに

差し上げますから、早速、亡くなられた方を葬ってください(口語訳「あなたの死人を葬りなさい。」)という。8節でも書きましたが、日本語翻訳として「亡くなられ

た」は不適切である。 

「差し上げます」は無償でではない。「売却します」の婉曲的用語であって、アブラハムが「譲っていただきたいのです」といったのと同じ意味で、ここでは快く売

りたいという意味の売買の常等語である。「売る」という代わりに、「与える」というのと同じで、買う人の心を傷つけないで済むことになる(フォン・ラート)。日本

語でも、売買が成立する状況では「差し上げます」というときがしばしばある。