五、「教会とわたしたち」(368) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽として、アウグスチヌス著「神の国」から引用(その9)
5カトー(ローマ文人)の見解によれば、占領した都市を略奪するのは、戦いの常であった。
6 ローマ人でさえも、彼ら自身を征服した町々の神殿を惜しむことはなかった。
7 ローマの略奪において現に起こった(前回ここまで)ような残忍行為も、戦争の慣例に従ったまでのことであった。しかし、もし憐憫が示されたとすれば、そ
れはキリストの御名の力に帰せられるべきである。
ローマ市における先ごろの災害の間に加えられた破壊・殺人・強奪・放火・残虐行為など一切は、戦争につきものの慣習に従ったまでのことであった。しかる
に、これまでのならわしを一変させるような全く新しい事態が生起した。それは蛮族たちの狂暴さが和らげられ、彼らが寺院を選び出してこれを特別扱いにし、そ
こに溢れるほどに集まった人々の生命を助けたという事実である。そこではなにびとも殺されず、奴隷として拉し去られることもなかった。このようにして、多くの
者が敵軍の慈悲によって解放された。残酷な敵によってさえ、一人も殺されず捕囚ともならなかった。これらすべてはキリストの御名のゆえであり、キリスト教へ
の回心のゆえである。このことに気づかない者は盲目であり、気づきつつも感謝しないのは忘恩の徒である。だれにせよ、他の人が感謝しようとするのを押し止
める者は、気が狂っている~(つづく)(教団出版「神の国」出村彰訳1968)