日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2016-01-27 21:52:04 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(346)

4.近代の教会の夜明け  ―宗教改革とその後― チューリヒのツウィングリ

 後に不幸な結果になるのであるが、ツウィングリのその状況判断は当たっていた。こうなると、ツウィングリにはカール5世大帝を要するハプスブルク家との対決が抜き差しならない重荷となってきた。ルター派との同盟の必要から、1529年10月、聖餐論の一致を求めて当時の有数の学者たちが集まりドイツ・フランクフルトから60キロ北の小さな都市マールブルクで三日間にわたって神学討を展開した。史上名高いマールブルック会談である。しかし、軍事同盟は不成立に(ここまで前回)おわった。

それがツウィングリにとって第一の会談の目的であったが果たせなかった。しかし会談そのものは、まったく失敗であったのではない。聖餐論の話し合いにおいて大きな成果を挙げたといわねばならない。カトリックの、化体説や犠牲奉献をあらわす「ミサ」を完全に否定すること、そしてパンとブドウ酒の両品目の陪餐の肯定において、ルター派との両教会の一致を確証することができた。カトリックが非難するような、聖餐は単なる主観的想起のきっかけではなく、正に神からの恵みの賜物であり、それはイエス・キリストの真のからだと血との霊的受領であって、それにより弱い心が信仰へと導かれることに一致することが出来た。しかし、ただ一つ不一致が出た。パンとぶどう酒におけるキリストの臨在の様式の違いという従来からの肝心要の問題が残った。「マールブルク条項」の十五項目からなる最後の一つで、不一致となった会談として有名(つづく)


聖書研究

2016-01-27 21:48:23 | 大分中央ウィークリー

創世記22章10節である。「そしてアブラハムは手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。」のである。ここに「息子を屠ろうとした。」という。アブラハムにとってはいよいよそのときが来たのであった。しかし、神のお言葉の通りを実行するのに、いささかの迷いがない。その神のご命令ゆえにわが子を「屠ろうとした」。遅疑逡巡する様子がまったく見られない。その心の中の動きを神はしっかり見ておられるのであった。 

かつて少年ダビデを選ぶときに、主なる神がサムエルに言われた言葉がある。それは、「主は心によって見る」(サム上16・8)であった。ここでも主なる神はアブラハムの人間としての誠実な心をぎりぎりのところまで、じっと見ておられるのであった。 

11節である。「そのとき、天から主のお使いが、『アブラハム、アブラハム』と呼びかけた。彼が『はい』と答えると、」という。「そのとき」という。ヘブライ語は「ワーウ」であって、いわゆる接続詞である。英訳(RSV)は「しかし」である。アブラハムの行動を急遽引き止めようとするのではなく本来の方向に用いるのであるから「しかし」という切り返しの言葉ではあまりに唐突過ぎる。口語訳は省いている。ここでこの「とき」を省いてはならない。それは重要な「とき」であった。 

今までから考えれば、この「とき」は最も緊迫した「とき」であった。アブラハムと共にここに来た神の介入の優しい決断のその「とき」であった。神がはじめから〝そのとき〟を待っておられた。アブラハムが彼の心に思うことを実行に移すわっずかな一瞬、それが神の介入の自由な一瞬、神の、お許しの「そのとき」であった。


牧 会 通 信

2016-01-27 21:34:49 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第12歌(カッコ内は筆子、その9)

◯このものたちは何千とこの堀のまはりを走つてゐて、自身の罪により規定されてゐる以上に、たぎる血から身を出す霊に矢を射かけるのだ。」

わたしらがこの迅速な獣たちに近づくと、キロンは矢を取外して、矢筈(やはず)で髪を顎の左右の後へ押しやつた。

大きな口が現れると仲間たちに言つた、「後ろの奴が触れたものが動くのに気づいたか?死者の足はいつもあのやうに動かさぬ。」(ここまで前回)

◯すでに人と馬が結び合つてゐるそのものの胸のそばにゐた、わたしの先達はかう答へた、「このものはたしかに生きてゐる、

一人きりのこのものにわたしはこの暗い谷を見せねばならぬ、楽しみではなく、必要がこのものを強ひてかうさせてゐるのだ。

アレルヤを歌ひやめて天降つたお方が、わたしにこの新しい役目を委ねられたのだ、このものは追剥(おいはぎ)ではなく、わたしは強盗の霊ではない。(つづく) 

◯2016年1月24日は第四主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「神の招き」という主題である。マタイ9章35~38節、その37~38節、「そこで、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。』」という。神が働き手を招こうされている。どうして願わないのか、という神の強い催促である。わたしたちの必要からではなく、もし教会の働き人を求めて神の必要を、わたしたちが満たせるなら、これほどの喜びがどこにあろうか。 

◯写真は、2016年の新春を迎えて活け替えられた「新春の活け花」。ある姉妹が、心を込めて活けられた。


プロテスタントとカトリック

2016-01-20 23:31:03 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(345)

4.近代の教会の夜明け  ―宗教改革とその後― 

この時は仲裁が入り、古都ルツェルンに会談して一つ町に一つの宗教、人は宗教によって町を選ぶ「現状維持」形態で二つの宗教存在を認めた。戦乱に至らず解決した。

この現状維持決着は不安定なものになる可能性があった。なぜなら自らの信仰を守るために信仰によって町を形成するのは良いが、そうはうまく行かない場合の移住権を認めるというものである。そのように事が進むであろうか一つの実験室であった。町は小さくなるが依然として、一つの地域に一つの公認宗教しかないのである。新教の自由にはならない。その点から、ツウィングリには、改革派の進展を押さえつける結果となり、このカッペル和議は失敗としか見えなかった。ベルンとチュリッヒの巨大都市の圧倒的優勢なときに、ルツェルンなどのカトリックのキリスト教連合を一気に押しつぶすべき機会を失っただけであった。(ここまで前回) 後に不幸な結果になるのであるが、ツウィングリのその状況判断は当たっていた。

こうなると、ツウィングリにはカール5世大帝を要するハプスブルク家との対決が抜き差しならない重荷となってきた。ルター派との同盟の必要から、1529年10月、聖餐論の一致を求めて当時の有数の学者たちが集まりドイツ・フランクフルトから60キロ北の小さな都市マールブルクで三日間にわたって神学討論を展開した。史上名高いマールブルック会談である。しかし、軍事同盟は不成立に(つづく)


聖書研究

2016-01-20 23:28:51 | 大分中央ウィークリー

創世記22章9節である。「神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。」といわれます。ここで、わたしたちの問題は「息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。」というところである。息子といえども、この年頃になると自分の身に起こる事の異常性に気がつくはずである。そのことについて、一言も触れられていないではないか。

 どうしたことかと、はたと考えさせられるところである。不思議な静寂である。神の時の遂行で、あらゆる人間的行為の沈黙であったとしか言いようがない時の流れである。子供自身も身を任す以外になかったのであった。「息子イサクを縛って」というところは、先の「小羊はきっと神が備えてくださる」とイサクの父との合意を暗黙のうちに含めている。そこに神ご自身の権威が現れているというべきであろう。 

10節である。「そしてアブラハムは手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。」のである。ここに「息子を屠ろうとした。」という。アブラハムにとってはいよいよそのときが来たのであった。しかし、神のお言葉の通りを実行するのに、いささかの迷いがない。その神のご命令ゆえにわが子を「屠ろうとした」。遅疑逡巡する様子がまったく見られない。その心の中の動きを神はしっかり見ておられるのであった。 

かつて少年ダビデを選ぶときに、主なる神がサムエルに言われた言葉がある。それは、「主は心によって見る」(サム上16・8)であった。ここでも主なる神はアブラハムの人間としての誠実な心をぎりぎりのところまで、じっと見ておられるのであった。