五、「教会とわたしたち」(305)
4.近代の教会の夜明け
―宗教改革―スコットランド
(そして正式にノックスの後任に任命される時まで彼を助け、説教のできないときは代って説教を引き受けた。ノックスは、精神的にも楽になったことが、大きく彼の力を回復し、健康に留意しながら説教を継続して担当した。このローソンが訪れた時、同9月15日、改革派教会の存亡にかかわる大迫害事件がフランスで起こったことがノックスに知らされた。その大事件は聖バルテルミー祝日の大虐殺と呼ばれる事件であった。1582年の8月24日のことである。その夜、約2千人のプロテスタントのユグノー信徒が殺害されることから始まって、パリーで起きた虐殺が地方にまで広がり、その犠牲者は数万に及んだと(ここまで前回)
いわれている。このニュースは全ヨーロッパに広がり、スコットランドで、それを知ったノックスは次の日曜日9月22日、最後の力を振り絞るようにして説教壇に立ち、その事件の実行者らには、彼らが悔改めない限り、遠からず神の復讐が下されるであろうと力説し、近い将来、同じような事件に巻き込まれないようにするためにも、いっそうこれまでの改革の戦いを続けねばならないと、説教壇から呼びかけることを怠らなかった。また、彼は公然と文書に表して、フランスのスコットランド大使ラ・クロースLa Crocに伝達するように依頼した。この闘いを(つづく)