日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2017-09-29 02:43:42 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(429)    近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌ

ス著「神の国」(1968.教団出版)(その69)

  最終篇に入ります。

第二十二篇 神の国の永遠の浄福に

  7.この世がキリストを信じるに至ったのは、人間的な説得の結果ではなく、神の力の結果である。

 8.この世をキリストの信仰へと獲得するためになしとげられ、世界が信ずるに至った今でもなされている 

   奇跡について。

わたしがミラノに住んでいたころに、そこで起こった奇跡―盲人が視力を回復するという奇跡は、もっと広く知られている。ミラノが大都会だからである。皇帝もそこに居合わせていた。出来事はプロタシウスとゲルヴァシウスという二人の殉教者の栄誉をたたえるためにやって来た多くの群集の目の前で起こった。彼らの遺骸は全く失われてしまったのち、司教アンブロシウス〔三三九頃ー三九七、四教会博士の一人〕への夢の(前回はここまで)お告げによって、めでたく発見されたのであった。盲目の男が視力を取りもどしかつての暗黒を追い払うことができたのは、遺骸に触れた瞬間であった。……〔それから、じろう、・がん・ ヘルニア・などの奇跡的いやしの物語が続く。〕

であるから、わたしたちが聖書のうちに読むような奇跡を行われた神は、今日でもそのみこころにかなった人を通し・方法によって、多くの他の奇跡を行っておられるのである。ただ、これらは余り広く知られていないだけである。それらは砂利道の小石のように、繰り返し読むことによって記憶の中に固定すらまでにはなっていない。近来(つづく)(「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2017-09-29 02:41:03 | 大分中央ウィークリー

創世記24章54節である。「僕と従者たちは酒食のもてなしを受け、そこに泊まった。次の朝、みなが起きたとき、僕が、『主人のところへ帰らせてください』と言うと、」とある。僕と従者たち側からの「金銀の装身具や衣装~高価な品物」の豪華な贈り物に対して、リベカ側からは「酒食のもてなし」を差し出したと。互いの心のこもった贈与の交換であった。しかし、全く見知らない土地と人々には全幅の安心の出来ない危険があった。

 

一般的に言って、ありうるのは、客人側の自由裁量の自然発生的な制限が起こるということであった。従って主なる神が、僕に一種の危険を感じ取らせたのであろう。なぜなら彼は娘リベカを何としても、来たのと同じ道を、遠路はるばる連れて帰らねばならないという大きな義務を背負っていた。善は急げであった。「次の朝、みなが起きたとき、」間髪いれずに、「主人のところへ帰らせてください。」と帰還を申し入れた。

 

55節である。「リベカの兄と母は、『娘をもうしばらく、十日ほど、わたしたちの手もとに置いて、それから行かせるようにしたいのです』と頼んだ。」という。時間的にはあまりの短期の出来事と、その上にリベカ側は心の準備がなかったといえばそうではあるが、しかし、こういう男女のことは、時間があってそれがないといえばそうのようなことでもある。人のめぐり合いは、人間ではなく神が決めておられるからである。

 

ここは一つの取引のようなものであるから、人間感情その他いっさいを含めて、双方とも、そのようなことをすべてご存知の、見えざる神との対話によって決めねばならない。さて、この要求を受けたアブラハムの僕側が、この要望をどう理解し、どのように考えるかが、一瞬の時間で神とのきびしい対話が求められることになった。


牧 会 通 信

2017-09-28 23:58:19 | 大分中央ウィークリー

ダンテ(1265-1321)の「神曲 地獄」編 18歌(その4)   (原 光訳 2000年、沖積舎、)

◯この場所にヂェリオン(猛獣)の背から揺り落とされて、詩人は左手へ進み、わたしはひしとついていった。

  右手には新奇な悲惨と責苦、新奇な鞭打人が見え、第一の袋はそれでいつぱいだつた。

 底には裸の罪人たちがゐて、真中からこつちにはわたしらの顔に向つて来るもの、向うにはわたしらとともに

進むものがゐたが、歩みはより早かつた。(前回ここまで)

◯ローマ人は大赦に雑踏を極めるために、人々はうまく橋を渡れる方法を考え出し、

  片側では、すべてのものが顔を城の方へ向けて聖ピエトロへ進み、反対側では山に向つて進むやうにした

が、あれとそつくりだつた。

  こつちと向うの鉄色の岩の上では、角の生えた悪魔たちが大きな鞭をもつて、後ろから罪人たちを残酷に打

ち懲らしていた。 (つづく)

◯本日、9月24日(日)の日本聖書協会の聖書本文は創世記18・22~33で、その主題は「とりなし」である。

その22節「その人たちは、さらにソドムの方へ向ったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。」と。この後何

があったのでしょうか。有名な滅亡の地、ソドムの人々と甥のロトのための執成しの祈りの話である。そこを読

んではじめて執成しの祈りのあることを知る人が多い。しかしアブラハムに執成されているのは、実は、われわ

れ自身であったといいたい。32節「主はいわれた。『その十人のためにわたしは滅ぼさない。』」と。

 

写真は、9月18日に神学校主催の聖書・教理の公開講座が福岡城南教会で開かれた。講師は旧約学、三好明教師(小平)、教義学、有賀文彦(大垣)。参加者40名。


プロテスタントとカトリック

2017-09-18 22:42:31 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(428)  近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その68)

  最終篇に入ります。

第二十二篇 神の国の永遠の浄福に

  7.この世がキリストを信じるに至ったのは、人間的な説得の結果ではなく、神の力の結果である。

 8.この世をキリストの信仰へと獲得するためになしとげられ、世界が信ずるに至った今でもなされている

   奇跡について。

聖書正典はひとたび制定されると、昔の奇跡を世界のすみずみにまで知らせることとなり、いたる所で人々の

記憶に強い印刻を与えることとなった。しかるに、もっと最近起こった奇跡は、それが行われた町とその近郊で

ようやく知られているに(前回はここまで)過ぎない。その場合でさえも、きわめて小数の者だけがそれを知っ

ており、他の者は何も知らない。これは特にある大きさの町においてそうである。物語りが広められたときで

も、直ちにこれを信ぜしめるに足るほどの権威による裏打ちを欠いているので、ただキリスト信者の間でだけ

次々と伝えられるだけである。

  わたしがミラノに住んでいたころに、そこで起こった奇跡―盲人が視力を回復するという奇跡は、もっと広く

知られている。ミラノが大都会だからである。皇帝もそこに居合わせていた。出来事はプロタシウスとゲルヴァ

シウスという二人の殉教者の栄誉をたたえるためにやって来た多くの群集の目の前で起こった。彼らの遺骸

は全く失われてしまったのち、司教アンブロシウス〔三三九頃ー三九七、四教会博士の一人〕への夢の

(つづく)(「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2017-09-18 22:30:20 | 大分中央ウィークリー

創世記24章53節である。「そして、金銀の装身具や衣装を取り出してリベカに贈り、その兄と母にも高価な品物を送った。」という。これらの贈り物の贈与の数々は、今日のわれわれも結婚式の前の習慣として互に交わす「結納」であろう。出発の時はあまりにも遠い旅になるであろうと予測されたところから、道中の危険にもかかわらず、よくもこのような高価な贈り物を持ち運んだものとは、ただただ驚きである。神の御守りであろう。

 

今日ではほぼ同じ心がけであろうが金銭、織物、酒肴などを心を込めて取り交わす。見つかるであろう嫁が、多分遠い縁戚となるであろうと予想されたこともあり、また長い旅路を全10頭のらくだによって運ねばならなかった。あらん限りの安全への気配りしながらの、心を込めた高価な贈り物であることが、相手によく分った。

 

54節である。「僕と従者たちは酒食のもてなしを受け、そこに泊まった。次の朝、みなが起きたとき、僕が、『主人のところへ帰らせてください』と言うと、」とある。僕と従者たち側からの「金銀の装身具や衣装~高価な品物」の豪華な贈り物に対して、リベカ側からは「酒食のもてなし」を差し出したと。互いの心のこもった贈与の交換であった。しかし、全く見知らない土地と人々には全幅の安心の出来ない危険があった。

 

一般的に言って、ありうるのは、客人側の自由裁量の自然発生的な制限が起こるということであった。従って主なる神が、僕に一種の危険を感じ取らせたのであろう。なぜなら彼は娘リベカを何としても、来たのと同じ道を、遠路はるばる連れて帰らねばならないという大きな義務を背負っていた。善は急げであった。「次の朝、みなが起きたとき、」間髪いれずに、「主人のところへ帰らせてください。」と帰還を申し入れた。