五、「教会とわたしたち」(401)
5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その41)
27.罪を避けるため自殺することは許されるか
なぜそのような多くの重大な危険を愛するのだろうか。あるいは、愛するとは言わないまでも、少なくともこの世に留まることによって、
それと直面する冒険をあえてするのか、正当にこの世に別れを告げることもできるというのに。
・・・だれかに(前回はここまで)よって捕えられ、その強要の下に罪を犯すことを避けるために、自らの生命を絶つことが合法的だとすれば、
それにもかかわらず人は生き延び、そして刻々とこの世のもろもろの誘惑に抗せねばならない、と考えることなどは愚かの限りではなかろうか。
一人の主人によって蒙る恐れのある誘惑だけではなく、無数の誘惑が存在する。誘惑なくしてはこの世の生活は考えられないのである。
そうであるとすれば、わたしたちが説教にかくも多くの時間を費やし、新たに洗礼を受けた者の中に処女の貞淑ややもめの貞節、
また婚姻の節操への情熱を燃え立たせようと努める意味は、どこにあるのだろうか。もしも彼らを説得し、洗礼によって罪の赦しを受けた直後に生命を断ち、
かくして清く汚れないままで神のみもとに赴くよう教える方が、はるかに正しく・また便利ではあるまいか。
しかし、もしだれかがこのような立場が健全だと他の人を納得させようとするならば、わたしはそのような人は愚かであるだけではなく、気が狂っている (つづく)(「神の国」出村彰訳)