創世記26章1節である。「アブラハムの時代にあった飢饉とは別に、この地方にまた飢饉があったので、イサクはゲラルにいるペリシテ人の王アビメレクのところへ行った。」という。ここはアブラ
ハムの子、イサクで貫かれた唯一の章という特色がある。「飢饉」とは、ここでは干ばつによる水不測のことをいう。当然遊牧民は深刻な事態になる。何よりも羊とともに、はるばる遠くへと移動
を余儀なくさせられる。族長アブラハムもエジプトに移動した(創12:10以下)。
「ペリシテ人」が、21章32節と共に時代錯誤の記事としての問題とされる。ペリシテ人は12世紀ごろの民族大移動でパレスチナに入って来た民族には違いない。しかし後代(前12世紀)の民
族大移動だけに限定して考えないのがよい。その証拠に乏しいままでも、ペリシテ人移動を聖書資料として考えておかねばならない。
2節である。「そのとき、主がイサクに現れて言われた。『エジプトへ下っていってはならない。わたしが命じる土地に滞在しなさい。』」という。このようのイサクの直接語りかけた主な神は珍しい。
ここともう一か所この26章に見られる。イサク自身慎重に聞き取ったのはよくわかる。
「ゲラル」は、パレスチナの南部ガザの南方にあった町である(創10・19、歴代下14・13)、エジプトからいえば海岸沿いの通商路にあって、如何にも水の都エジプトに入って行きやすいところ
であった。しかしそれゆえ、神がここで語ったのであった。聞き取る方もよほどの心構えを必要とする。ここで聞き入れるかどうかは、イサク自身の人格が問われている。賢いか、どうか試されて
いたのであった。
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