五、「教会とわたしたち」(405) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その45)
29.キリストが敵の暴虐から彼らを救い出してくれなか(前回はここまで)ったと論じ立てる不信者に対し、キリストの僕はどう答えるべきか。
いと高く真実なる神の家族は、その慰めを与えられている。それは偽ることなく、また移り変わり・過ぎ去るべ
き物事への望みに基づいていない。彼らはできるだけ悔い改めの必要がないようにこの世の生を送り、そこで
永世への練を受けるのである。彼らは地上の財貨を巡礼者のごとく用い、その中に巻き込まれることがない。
彼らは悪事をも自分を試し・向上させるものとして用いる。試みの中にある者に向って侮辱を重ね、ひとたび悪
がその上に降りかかるや「おまえの神はどこにいるの」(詩四二・一〇)と言うような者どもは、彼らが災難の中
にあるときに彼らの神々がどこにいるのか言ってみるが良い。彼らはこれらの災難を避けようとして神々を礼
拝し、あるいは礼拝する方が得策だと主張している。
キリスト信者はこう答える。「わたしの神はその全能をもって、あらゆるところにおられる。神はどのような場所
にも限定されない。神は知られずして現臨し、動くことなく立ち去られる。神がわたしを逆境に会わせられるの
は、わたしの美点を試すためか、わたしの罪を罰するためである。この世の苦難を信仰をもって堪え忍ぶ報い
として、神はわたしを支えて永遠の報酬へと至らせられる。どうしてわたしはあなたに向かって、(つづく)
(「神の国」出村彰訳)