日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2015-07-28 00:39:13 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(322)     

 4.近代の教会の夜明け―宗教改革―スコットランド

  その後1647年までの3年間を費やしたロンドン中心部にある、荘厳なゴシック建築のウエストミンスター・アベイ大聖堂でのウエストミンスター会議は、一つの改革派教会の信仰の柱を生み出した。「ウエストミンスター信仰の告白」である。その会議は、スコットランド教会にならう目的で、英国議会の要請によって英国教会改革のために開かれた、長老派神学者の会議であり、議員は信徒30名、教職121名からなるもので、英国国教会の代表は、オブザーバーを除いて出席者がなかった。最大の業績は、先の「信仰の告白」と、それに添えられた大・小二つの「教理問答書」である。(ここまで前回)

ウエストミンスター会議以後、約六十四年間、長老主義教会とこの世の政治との間で支配権争いが続いた。長老派教会に多くの殉教者を出し、1697年、最後の殉教者としてアイキンヘッドが処刑された。その後もこの種の戦いがイングランドとスコットランドとの両国において続き、1707年に両国の合併が成立し、新たな「グレート・ブリテン」にその名を改めたにもかかわらず、その政府は長老主義教会に対して監督政治を強要した。長老主義教会はよくこれと戦い一歩も譲らず、1711年ウイリアム三世王の寛容政策によって独立を勝ち取り、ようやく安定を見るに至った。(つづく)


聖書研究

2015-07-28 00:33:06 | 大分中央ウィークリー

創世記21章18節である。「立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ず、あの子を大きな国民とする。」という。ここでも「お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい」イシュマエルについての子供っぽい表現は続く。 

原文直訳は、「クミー(起こせ)ショイー(上げよ)、ウ・ハテチーク エス イデカー(そして、あなたの手で捕まえよ~)である。その新改訳(1970)「起こし~、力づけなさい」と、口語訳は「あなたの手で抱きなさい」と翻訳している。ここの表現は翻訳上の間違いから派生したものであろう。 

しかし神の経綸は厳然として、ここに響き渡っている。すなわち、「わたしは、必ず、あの子を大きな国民とする。」という。 

19節である。「神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って皮袋に水を満たし、子供に飲ませた。」という。「ハガルの目を開かれた」とは、それまで見えなかったものを認識できるようになるということである。ハガルは、このとき水が必要であったことも、そばに井戸があることにも気がつかなかったらしい。井戸があることに気がついて、早速行動に移った。 

つまり、ハガルはそれほど呆然と歩くのみであった。疲れ果て、ひと休憩しても泣くのみ。神の使いの語り掛けによってわれに返ったということである。見え出した。このときの少年に、水が、神からの贈り物となった。


牧 会 通 信

2015-07-27 23:00:30 | 大分中央ウィークリー

ダンテの「神曲 地獄」編 第10歌(カッコ内は筆子、その11)(原 光訳 2000年、沖積舎)

◯そなたがいつか温和な世界に戻るなら、わしに言つてくれ、なぜあすこの住民はあらゆる法律で、わしの一族に対してあんなにも残酷なのだ?」(「アルビア河」1260年9月有名なモンタベルナの古戦場)

わたしは答へた、「アルビア河を真つ赤に染めた、あの破壊と大殺戮が、わたしらの寺院であのような祈祷をさせてゐるのです。」

するとあのものは溜息をつき、頭を振り動かして言つた、「わたしだけが闘つたのではない、わしは理由もなく他のものたちとともに盲動したのでもない。(ここまで前回)

◯それどころかフィオレンツァを抹殺することにあらゆるものが同意したあすこで、わたしだけが敢然とフィオレンツァを護つたのだ。」  

  「では、あなたの子孫がいつか休息できますやうに、」と願つてわたしはあのものに頼んだ、「わたしの心を巻き締めつけてゐるこの結び目を解いて下さい。

  わたしの聞き違へでなければ、あなたは時とともに起ることが予見できるやうに思はれますが、現在(いま)のことは違ふやうですね。」

(つづく)

◯2015年7月26日は、今年の第三十主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は、Ⅰコリント6章12~20節、その20節、「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」といいます。宗教改革者のカルヴァンは、この聖句から「神の栄光のために」という、宗教改革のための旗印を発見した。

 写真は、7月19日(日)午後1時からの故辛島泉葬儀のため、会場の葵会館において会場準備風景。7月18日午後5時ころ撮影。


創世記21章17節である。「神は子供の泣き声を聞かれ、天

2015-07-22 20:37:18 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(321)

4.近代の教会の夜明け―宗教改革―スコットランド

彼の後継者にロバート・ブルースがいる。彼は1576年ころメルヴィルの感化を受けて教職となった人物であり、その早い時代にはカペナント派の神学の学者として知られるが、後に優柔不断なジェームスⅠ世王の庇護を受けて1580年エディンバラで教会総会議長となって活躍し、そのとき、正式に長老主義教会の憲法を確定するが、後に、同じジェームス王によってエディンバラを逐われ、1631年世を去った。これらの指導者達によってスコットランドの改革教会はその後永く存続する教会となり、スイス以外の改革教会の中では最も深く民衆の生活に根を下した安定した教会となった。(ここまで前回)

  その後1647年までの3年間を費やしたロンドン中心部にある、荘厳なゴシック建築のウエストミンスター・アベイ大聖堂でのウエストミンスター会議は、一つの改革派教会の信仰の柱を生み出した。「ウエストミンスター信仰の告白」である。その会議は、スコットランド教会にならう目的で、英国議会の要請によって英国教会改革のために開かれた、長老派神学者の会議であり、議員は信徒30名、教職121名からなるもので、英国国教会の代表は、オブザーバーを除いて出席者がなかった。最大の業績は、先の「信仰の告白」と、それに添えられた大・小二つの「教理問答書」である。(つづく)


聖書研究

2015-07-22 20:32:52 | 大分中央ウィークリー

創世記21章17節である。「神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。」という。「子供の泣き声」というが、これも幼い子供の泣き声のようであるが、そうではない。子供は子供でも少年の苦しみに耐えかねた鳴き声である。 

「神は子供の泣き声を聞かれ」という言い方は、「泣き声」が、ある種の求めであり、その要求を聞き入れられたという意味であろう。神の救済の業が始まったことを告げている。「あそこにいる」とは特定の場所ついての言葉ではない。彼の周りの状況を指している。彼がおかれている環境およびその状況は厳しいものがあったと思われる。救済の神としてのその働きは、新約聖書のイエス・キリストを予想しているというべきであろう。 

18節である。「立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ず、あの子を大きな国民とする。」という。ここでも「お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい」イシュマエルについての子供っぽい表現は続く。 

原文直訳は、「クミー(起こせ)ショイー(上げよ)、ウ・ハテチーク エス イデカー(そして、あなたの手で捕まえよ~)である。その新改訳(1970)「起こし~、力づけなさい」と、口語訳は「あなたの手で抱きなさい」と翻訳している。ここの表現は翻訳上の間違いから派生したものであろう。