五、「教会とわたしたち」(322)
4.近代の教会の夜明け―宗教改革―スコットランド
その後1647年までの3年間を費やしたロンドン中心部にある、荘厳なゴシック建築のウエストミンスター・アベイ大聖堂でのウエストミンスター会議は、一つの改革派教会の信仰の柱を生み出した。「ウエストミンスター信仰の告白」である。その会議は、スコットランド教会にならう目的で、英国議会の要請によって英国教会改革のために開かれた、長老派神学者の会議であり、議員は信徒30名、教職121名からなるもので、英国国教会の代表は、オブザーバーを除いて出席者がなかった。最大の業績は、先の「信仰の告白」と、それに添えられた大・小二つの「教理問答書」である。(ここまで前回)
ウエストミンスター会議以後、約六十四年間、長老主義教会とこの世の政治との間で支配権争いが続いた。長老派教会に多くの殉教者を出し、1697年、最後の殉教者としてアイキンヘッドが処刑された。その後もこの種の戦いがイングランドとスコットランドとの両国において続き、1707年に両国の合併が成立し、新たな「グレート・ブリテン」にその名を改めたにもかかわらず、その政府は長老主義教会に対して監督政治を強要した。長老主義教会はよくこれと戦い一歩も譲らず、1711年ウイリアム三世王の寛容政策によって独立を勝ち取り、ようやく安定を見るに至った。(つづく)