五、「教会とわたしたち」(425) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その65)
最終篇に入ります。
第二十二篇 神の国の永遠の浄福に
5.肉のよみがえりについて、世界の大部分
の人はこれを受け入れているのに、中に
はこれを否認する者もいる。
キリストがこの世という大海に、信仰の網とともに漁師として送り出されたのは、ごく少数の、一般的教養の理論と実際には全く未熟で、文法も習わず、論理学も知らず、修辞学の訓練もない人々であった。彼らを通してキリストはあらゆる種類の魚を集められ、さらに驚くべきことには(なぜなら稀少なものであるから)、哲学者までも捕えられたのである。それゆえに、喜ぶべきことには、上に述べた二つの信ずべからざることに、(前回はここまで)第三のことを付け加えなければならない。
そこで、全部で三つの信ずべからざることがあることとなる。そして、それらはことごとく生起したのである。キリストは肉においてよみがえり、肉をもって天に上げられた。このような信ずべからざることを世界が信じた、という事実がまことに信ずべからざることである。さらに、世界中が、ことに学者たちが、少数の素朴で身分も低く、学問もない人たちによって全く説得されたということも、信ずべからざることである。……
6.ローマハロムルスを神としたが、それは彼を建国者として敬愛していたからである。教会がキリストを愛するのは、キリストを紙として信ずるからである。(つづく)~(「神の国」出村彰訳)