五、「教会とわたしたち」(417) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その57)
最終篇に入ります。
第二十二篇 神の国の永遠の浄福に
1. 天使と人間の創造について
初めにこの世界を創造し、精神と肉体をあらゆる良き物をもって満たされたのは神である。神が創造されたもののうちで、霊よりすぐれたものはない。(前回はここまで)神はこれに理性を賦与され、神を観想し、受け入れる能力を備えられた。神はこれらの霊を一つの交わりにらしめられた。わたしたちはそれを上からの聖なる国と呼ぶ。この国の市民たちが浄福を得、これを喜ぶのは神御自身によってである。神が彼らの共通の生命であり、糧であるからである。
これら理性的存在に対し、神は自由意志を与えられた。それは、もしも欲するならば真の浄福である神を捨てることさえできるような自由であるが、それには必ずや悲惨が伴うであろう。神はある天たちが驕慢に思い上がり、淨福な生き喜びとするには自分自身だけで十分であると考えて、神とともにある善を捨て去るであろうことをあらかじめ知っておられたが、しかも彼がそうする力を奪い取られなかった。いっさいの悪を禁ずるよりは、悪から膳を作り出す方が、神の力にとってよりふさわしく、またこれを明示することになると判断されたからである。
彼らの可変的な本性は、すべてのものを良きものとして創造された・最高善にして変わることなき神によって造られたのであるから、それ自体としては~ (つづく)(「神の国」出村彰訳)