日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2015-08-25 00:33:01 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(326)

4.近代の教会の夜明け

 ―宗教改革とその後―

ヨーロッパでは16世紀初頭から17世紀中葉までの大航海時代が始まるのであるが、キリスト教的にはその象徴的なその拡大の最初の事件は、1620年、メイ・フラワー号の帆船に乗船した120名ばかりのイングランドの清教徒(ピュ―リタン)共同体がマサセチュー湾に到達したことによって更なるキリスト教拡大時代の幕が開かれたといってよい。このことは特に現代、アメリカ学として神学的に重要になって来た。  従って、キリスト教神学の歴史の要となり、出発点となっているのは、いわゆる宗教改革である。そのため、今まで述べてきた1520年代の初頭のルターと、その後のカルヴァンの宗教改革があった。

しかし、この二つ出来事とは、そのはじめ関係なしにスイスのチュリッヒ(ここまで前回)でもルターと同じ時代に、ツヴィングリーが行動を起こし始めた。ルターが1483年生まれなら、こちらは1484年生まれであった。富裕な農家の出で、まったく環境は違うが、天の配剤であろう。この世界に必要な人を起こすのであった。就学の過程の中でいろいろあったが、18歳のときバーゼル大学に入り、神学を含む一般教養を身につけると共に、当時のカトリックの硬直したスコラ的神学に対する興味をまったく失い、卒業間際に神学教師で宗教改革的思想の持ち主ヴィッテンバッハ(1472~1526)に師事し、聖書中心的にして、恩寵中心的思想を学んだ。(つづく)


聖書研究

2015-08-25 00:31:28 | 大分中央ウィークリー

創世記21章22節である。「そのころ、アビメレクとその軍隊の長ピコルはアブラハムに言った。『神は、あなたが何をなさっても、あなたと共におられます。~』」とある。ここの「アビメレク」は、ゲラルの王であり、20章2節、「アブラハムは妻サラのことを、「これはわたしの妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは使いをやってサラを召し入れた」といわれている。 

しかし彼、アビメレクは、アブラハムの妻であることを知って、何の害も加えずに、かえって多くの賠償を与えてアブラハムへ返した。こんどは、アビメレクが、アブラハムの族長としての重要な地位を認めて、彼と和解して、同盟関係を一層強化するためにその契約を申し出る(E)のであった。「ピコル」はアビメレク王の軍の長であった。ただ、26章26節では、イサクの時代にもなお健在であったという(J)。 

23節である。「『~どうか、今ここでわたしとわたしの子、わたしの孫を欺かないと、神にかけて誓って(シャバ)ください。わたしがあなたに友好的な態度をとってきたように、あなたも、寄留しているこの国とわたしに友好的な態度をとってください。』」という。ここに、アビメレク王の軍の長ピコルを従えていること、その上で「この国とわたしに友好的な態度をとってください。」と嘆願するところに、何か両者の間にトラブルが発生していたように見える。 

これ以上アブラハムとの関係を悪くしたくないという負い目があったようである。この時代においても人間社会は変わらない。社会生活の基本は契約を結んで共同生活を営むということである。どちらかが契約を破ったら、即、社会生活の破壊につながる。恐ろしい事態に発展する。アブラハムの方には契約に忠実な何かがあった。


牧 会 通 信

2015-08-24 22:28:50 | 大分中央ウィークリー

ダンテの「神曲 地獄」編 第10歌(カッコ内は筆子、その15)(原 光訳 2000年、沖積舎)

◯すると答へた、「わたしはここに千以上のものとともに横たはつてゐる、その中にはフェデリコ二世(ローマ皇帝、1194~1250)と、あの枢機卿がゐる、他のものたちについては言わぬ。」

 さう言ふなり隠れてしまつた、わたしは古代の詩人の方へ歩き出した、わたしには不吉に思はれたあの言葉について考へながら。

 師は動きだした、それから歩きながらわたしに言つた、「なぜそんなに取乱してゐるのだ?」わたしはその質問に満足できる返辞をした。(ここまで前回)

◯「そなたの聞いたその不吉なことを忘れるな、」と賢者はわたしに命じた、「さあ、よく聴け、」と指を直立させて、

  「美しい眼でなにもかも見透すあの方の、優しい光の前に出るとき、あの方からそなたは自分の一生の旅について知らされるだらう。」

  それから師は歩みを左の方へ向け、わたしらは城壁を後にし、小道を通つて中心へ向つたが、路は谷に行当り、

  そこからは上までむッとする悪臭を発してゐた。(次、第11歌) 

◯2015年8月23日は、今年の第三十四主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「神による救い」の主題であり、聖書はゼカリヤ9章11~17節、その11節「あなたと結んだ契約の血のゆえに  わたしはあなたの捕らわれ人を  ~解き放つ。」という。「~契約の血」が、神のわたしたちへの働きかけであり、力強い神の行動である。キリストの十字架の血がわたしたちへの働きの起点となる。キリストの罪の赦しを信じる信仰の応答の、その一点が、救いの始まりであり、完結となって信仰の生活が継続する。 

◯写真は、8月18日、遅咲きの朝顔を鉢に植え付けました。九月中旬に咲き始める。


プロテスタントとカトリック

2015-08-16 23:41:40 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(325)

4.近代の教会の夜明け

 ―宗教改革とその後―

わたしたちの世界の新しい時代は西方社会の16世紀の宗教改革から始まったといっても過言ではない。もちろん、われわれは東方の東の最先端の小さな島国であり、中国大陸との関係の中で小さな独立社会をつくっていた。しかも戦国時代といって国家としてのまとまりを失いつつあった。1549年ザビエルの来日によってその変化の影響を受けることになる。

すなわち、この時代に起こった西方の宗教改革という運動の展開の効果一つは、西方キリスト教がコロンブスの影響からヨーロッパの状況の外へと拡大したことである。(ここまで前回)ヨーロッパでは16世紀初頭から17世紀中葉までの大航海時代が始まるのであるが、キリスト教的にはその象徴的なその拡大の最初の事件は、1620年、メイ・フラワー号の帆船に乗船した120名ばかりのイングランドの清教徒(ピュ―リタン)共同体がマサセチュー湾に到達したことによって更なるキリスト教拡大時代の幕が開かれたといってよい。このことは特に現代、アメリカ学として神学的に重要になって来た。

従って、キリスト教神学の歴史の要となり、出発点となっているのは、いわゆる宗教改革である。そのため、今まで述べてきた1520年代の初頭のルターとカルヴァンの宗教改革があった。しかし、この二つ出来事とは、そのはじめ関係なしにスイスのチュリッヒ(つづく)


聖書研究

2015-08-16 23:40:07 | 大分中央ウィークリー

創世記21章21節である。「彼がハランの荒れ野に住んでいたとき、母は彼のために妻をエジプトの国から迎えた。」という。「妻をエジプトの国から」というが、ハガルがもともとエジプト人(16・1)であったので、イシュマエルのためにエジプトから妻を迎えたことは人間的な関係からは不自然ではない。 

しかし、イシュマエルはアブラハムが認知した、アブラハムの子である。神の約束の系列からこの段階から一層遠くなり、異教社会に近づくのである。異教社会と関係がいかに深くなっても、アブラハムの血を引いていることには間違いなく約束の絆の中に入っている見るべきである。18節の、天からの神のみ使いの言葉としての「必ずあの子を大きな国民とする」という約束の言葉は薄められることはない。 

22節である。「そのころ、アビメレクとその軍隊の長ピコルはアブラハムに言った。「神は、あなたが何をなさっても、あなたと共におられます。~」とある。ここの「アビメレク」は、ゲラルの王であり、20章2節、「アブラハムは妻サラのことを、「これはわたしの妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは使いをやってサラを召し入れた」といわれている。 

しかし彼、アビメレクは、アブラハムの妻であることを知って、何の害も加えずに、かえって多くの賠償を与えてアブラハムへ返した。こんどは、アビメレクが、アブラハムの族長としての重要な地位を認めて、彼と和解して、同盟関係を一層強化するためにその契約を申し出る(E)のであった。「ピコル」はアビメレク王の軍の長であった。ただ、26章26節では、イサクの時代にもなお健在であったという(J)