船に乗るため、阿古港へ向かいました。
(阿古港へ)
途中、三池浜が見られました。
(三池浜)
三宅村役場も通過しました。
(三宅村役場)
港に着き、船に乗り、東京へ向かいました。
(東京へ)
(写真撮影:1996.03)
これで20数年前に出向いた三宅島についての投稿を終わります。古くて、よく覚えておらず、間違っているところもあったと思いますが、お許しください。明日からは、1997.06に出向いた「屋久島・種子島」について投稿します。お楽しみに。
船に乗るため、阿古港へ向かいました。
(阿古港へ)
途中、三池浜が見られました。
(三池浜)
三宅村役場も通過しました。
(三宅村役場)
港に着き、船に乗り、東京へ向かいました。
(東京へ)
(写真撮影:1996.03)
これで20数年前に出向いた三宅島についての投稿を終わります。古くて、よく覚えておらず、間違っているところもあったと思いますが、お許しください。明日からは、1997.06に出向いた「屋久島・種子島」について投稿します。お楽しみに。
サタドー灯台へ向かいました。
(サタドー灯台へ)
サタドー灯台に着きました。ここに立つ白亜の無人灯台(サタドー灯台)は、1954年(昭和29年)に初点灯されたとのことでした。
(サタドー灯台に)
周りを散策しました。流れ出た溶岩と火山弾が見られました。
(周りを散策)
(写真撮影:1996.03)
ひょうたん山から海が見られました。
(ひょうたん山から海)
次の観光地へ向かい、着きました。三七山です。1962年(昭和37年)雄山山頂と赤場暁を結ぶ山腹で割れ目噴火が起こり、溶岩は火口から約200mの高さにまで吹きあがり、このときの大量な噴石が積み重なってできた噴石丘は、高さ数十mにも達し、噴火の起こった年号から「三七山」と呼ばれているようです。
(三七山)
次の観光地、サタドー灯台へ向かいました。
(サタドー灯台へ)
(写真撮影:1996.03)
観光を続けました。
(観光を)
赤場暁のようですね。
(赤場暁のようですね)
山が見られました。ひょうたん山とのことでした。ひょうたん山は、1940年(昭和15年)に雄山北東山腹の標高200m付近から噴火。大量の溶岩・火山弾・スコリア・火山砂が放出され、たった約22時間のうちに「ひょうたん山」を形成したようです。
(ひょうたん山)
観光を続けると噴火灰が見られました。
(噴火灰)
高い所からひょうたん山が見られました。
(高い所からひょうたん山)
その後、ひょうたん山へ向かい、着きました。
(ひょうたん山)
(写真撮影:1996.03)
観光を続けました。
(観光を)
赤場暁へ向かいました。
(赤場暁へ)
赤場暁です。
(赤場暁)
(写真撮影:1996.03)