昭JIJIの島旅賛歌⋇参加Ⅱ

日本の有人島は、416島で、414島(硫黄島、南鳥島は渡島できず)に渡島しています。2度目の全島制覇を目指しています。

「海の正倉院」の沖ノ島へ 24回目 地島

2022-07-31 04:00:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
散策を続けました。奥に祠が見られました。


(奥に祠)

たくさんの石仏がありました。




(たくさんの石仏)

横の祠には、色々と飾られていました。


(色々と飾られて)

歩いていると2つの石碑がありました。


(2つの石碑)

海辺に石の祠がありました。


(石の祠)

草むらの中に石の鳥居がありました。


(石の鳥居)

その先に石の鳥居がありました。


(石の鳥居)

上の方を見ると赤い神社がありました。厳島宮です。


(厳島宮)
(写真撮影:2006.06)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「海の正倉院」の沖ノ島へ 23回目 地島

2022-07-30 04:00:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
港からチャーター船で地島へ向かいました。


(地島へ)

地島の泊漁港に着きました。




(チャーター船)

上陸すると地島のマップがありました。


(地島のマップ)

散策を開始すると赤い花が咲いていて、蝶々が止まろうとしていました。


(赤い花)

石積みがありました。


(石積み)

近づくと大きな石がありました。殿様波止と言われ、この波止は、黒田長政公の命により築かれたとのことでした。


(殿様波止)

港には、土嚢のようなものがたくさん並べられていました。


(土嚢のようなもの)

遠くに島影が見えました。


(遠くに島影)

太田種次郎の石碑がありました。この人は、朝鮮出漁の創業者とのことでした。


(太田種次郎の石碑)
(写真撮影:2006.06)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「海の正倉院」の沖ノ島へ 22回目 大島

2022-07-29 04:00:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
井戸です。昔は、この井戸を使っていたようです。


(井戸)

宗像市大島支所です。


(宗像市大島支所)

昔、庄屋さんだったところの屋敷とのことでした。


(昔、庄屋さんの屋敷)

また、六地蔵がありました。


(六地蔵)

面白い運搬車ですね。


(面白い運搬車)

ネコがいました。


(ネコ)

色々と飾られた六地蔵がありました。




(色々と飾られた六地蔵)

石仏もありました。


(石仏)

宿に戻ってきて、荷物を取り、次の島、地島へ向かいました。


(荷物を取り)
(写真撮影:2006.06)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「海の正倉院」の沖ノ島へ 21回目 大島

2022-07-28 04:00:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
本堂内を見てみました。本堂内に鐘がありました。




(本堂内)

石灯篭がありました。


(石灯篭)

大きな石碑もありました。




(大きな石碑)

安昌院からの眺めです。




(安昌院からの眺め)

散策を続けました。






(散策)
(写真撮影:2006.06)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「海の正倉院」の沖ノ島へ 20回目 大島

2022-07-27 04:00:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
散策を続けました。


(散策)

二階が作業場の様な建て方の農家さんがありました。


(二階が作業場の様な建て方の農家)

祠が続いてありました。




(祠が続いて)

奥に赤土の土塀の土蔵が見られました。


(赤土の土塀の土蔵)

土塀が少し崩れた家もありました。


(土塀が少し崩れた家)

お墓があり、安倍宗任の墓と言われました。




(安倍宗任の墓)

その近くに古いお墓がありました。


(古いお墓)

お寺にやってきました。安昌院です。このお寺は、お墓のあった安倍宗任が開基したといわれています。


(安昌院)
(写真撮影:2006.06)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする